時計といえば、以前もスウォッチの時計を、キース・ヘリングらと共にデザインしたことがありますが、それまで、腕時計はしたことがなかったのです。この時、スウォッチから宣伝のために時計をして下さいといわれるまで、海外旅行の時でさえ時計なしで行動していました。何だか時間が腕に食い込んでいて、時間に束縛されて息苦しい感覚がありました。時計を持たないからといって不自由したことはあまりなかったと思います。

 逆にスウォッチの時計をつけるようになってからは、マラソンランナーが走りながらしょっ中時計を眺めるようになりました。時計を持たない前は、今の時間がだいたい読めました。あの頃はそういう意味では原始人的時間を生きていたように思います。逆に時計が文明を狂わせてしまったんじゃないでしょうか。どこからか終末時計の刻む音が聞こえてきませんか。

「丁度時間になりました」(川田晴久)

■瀬戸内寂聴「終末生命を刻む音、近頃聞こえてきます」

 ヨコオさん

 お手紙の最後に、「どこからか終末時計の刻む音が聞こえてきませんか」とありましたが、終末時計の音というより、自分のこの世の命の時間を刻む音が、近頃しっかり聞(きこ)えます。「コト、コト、コト」

 至ってつつましやかな音。しかし案外しっかりした音で、私の眠っている間も、「コト、コト、コト……」をつづけているようです。

 これこそ、私の終末生命を刻む、時計の音なのでありましょう。もう聞き馴(な)れて、すっかり耳についてしまいました。これが聞えなくなった瞬間こそ、意識をはっきり目覚めさせて、聞きとっておきたい。

 今日のお手紙で、自分のヘンな行為は、すべて「ネオダダ」と言えというのに笑ってしまいました。それを早く知っていたら、私は普通のおだやかな家庭を飛び出し、世間から不良生活と呼ばれるものに突入して以来受けた、さまざまな社会的非難や、圧迫をどんなに軽くはね返せていたでしょう。

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