墓地は死者との懐かしい思い出の場である。それが知っている人でも知らない人でも。
私は外国でも時間があると墓地に出かける。例えばパリならモンパルナスやモンマルトルの墓地。
モンパルナスには知人の画家が眠っている。生前自らデザインした、抽象的な金属の飾りが一つついただけの墓。すぐ横にはサルトルそしてその隣はボーボワールの墓。
ペール・ラシェーズ墓地は坂が多く、ショパンの墓を探そうとしてもなかなか見つからなかった。
いちおう案内図はあるのだが、死者はかくれんぼが好きと見えてなかなか見つかってくれない。歩き疲れて、花束が沢山重ねられ、朽ちかけている縁石のふちにかがんだら、それがショパンの墓であった。
日本では仏教の教えに一番近いのが自然葬なのか、樹木葬やら海に散骨するやら、最近では星空に宇宙葬として打ち上げるなどさまざまな形がある。弔いを生者と死者との間をつなぐためのものと考えると、墓はその目印。あった方が便利かもしれない。目の前を懐かしい人が通りすぎるためにも。
※週刊朝日 2021年4月9日号
■下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『極上の孤独』『人間の品性』ほか多数