以前、黒住宗忠さんのアホの修行のことをこの往復書簡で書きましたよね。寒山拾得こそアホを悟った僧です。本当に悟ると寒山拾得みたいにヘラヘラした締(しま)りのないアホ顔になります。何を言われても、いちいち目クジラなど立てません。いつも福笑いみたいな顔をして宇宙とぶっ続いています。最近というかここ数年前からの僕の作品に登場する人物は、寒山拾得のような顔をしています。僕にとっての魂の自画像です。以前顔面神経麻痺(まひ)になった時、寒山拾得的な、ゆがんだアホ顔の自画像を描いたら、現実にそっくりの顔になってしまったのです。

 鴎外さんの「寒山拾得」は小説自体がヤル気があるのかないのかみたいな小説で、何の目的も説明もなく、しかもいつの間にか寒山拾得を小説から追放というか逃げられてしまって、未完状態で終(おわ)っています。自分でいうのは変ですが、僕の絵みたいな小説です。今回は寒山拾得で結構遊んでしまいました。僕が鴎外さんに興味を持つのは書斎を持たないとこです。どこでも書く鴎外さんと、どこでも描く僕と似てます。

 今日はここまで。

■瀬戸内寂聴「叫ぶ肉体・神経 聞こえないふりに限界」

 ヨコオさん

 私はここ一週間ほど前から、体調、神経調、すべて不振になり、困った状態でふさいでいます。

 ある日、突然、初めてのリモート出演のテレビの収録中に、自分の顔を画面で見て、何とも言い様のない気分の悪さに襲われて、泣きだしてしまったのです。まるで三十代のヒステリー女のように、わけのわからない涙があふれだしてきて、自己嫌悪におちいり、モニターをこわしてしまいたい気になりながら、それをする勇気もなく、ただただ、ひたすら自己嫌悪に襲われて、涙がふきだしてくるのです。まさか百年も生きてきて、自分の顔が気に入らないというのでもないでしょうが、モニターの顔が喋(しゃべ)れば喋るほど、自分の心は、そのことばを信じていなくて、

「ちがうよ、ちがうよ、もうだまれ!」

 ということばが、現実に喋っている声に、おおいかぶさってくるのです。

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