草刈民代さん
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 バレエダンサーとして文部大臣奨励賞を始め、数多くの賞を受賞し、その後は女優へ転身した草刈民代さん。その苦労を明かす。

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 ここ何年かは、話題のドラマで立て続けに印象的な母親役を演じている。絵に描いたような“日本のお母さん”ではなく、自分もまた葛藤を抱えているような母親役がピタリとハマる。

「若年性アルツハイマーを発症した娘の母親を演じた『大恋愛~僕を忘れる君と』にしても、娘に、自分ができなかった理想の人生を託した『私の家政夫ナギサさん』にしても、どうも最初から私がキャスティングされたのではなくて、巡り巡って私のところにきたみたい(笑)。でも、結果的にすごく私の見た目とか、私自身の気持ちにハマった役になりました」

 草刈さんが、バレエダンサーを引退して女優に転向したのが43歳のとき。その2年ほど前から、「そろそろ引退の時期を決めないと」と考えるようになった。

「踊っていた頃、いずれ女優になりたいと考えたことは一度もないんです。むしろ、自分は女優には向いていないと思っていました。でも、自分の次のステップとして、“踊りで培ったものを昇華できる場所は何か”とじっくり考えたとき、パッと“女優”というイメージが湧いた。バレエを踊っていたときも、私が特に大事にしていたのは表現することだったので」

 女優になって最初の5年ほどは、目の前にある役に向かい合うだけで精いっぱいだった。50代になる少し前、「映像の仕事に慣れていくだけでは、自分らしい女優としての表現には辿り着けない」と思い始めた頃、英国王立演劇アカデミーの元校長ニコラス・バーターさんの妻と知り合いになった。

「日本人の奥様が、『ぜひ、うちの主人のレッスンを受けて!』と誘ってくださって、レッスンを受けることになったんです。その前にも、アクターズスタジオ出身の先生のレッスンを受けるためにニューヨークに行ったりして。40代後半にして、新たに演劇のメソッドを学びはじめました。バレエもたくさんのメソッドがあるので、それを体得していく行為は、性に合っていたんでしょうね」

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