「姉はものすごくいいものを着ていた。(略)普通の人の、三倍は服にかけていたと思う。『ほかの人が、三年しか着ないのなら、私は十年着るわ。気に入ったらとことん着る』」(向田和子『向田邦子の青春』)

 流れる勢いの直筆の脚本は文字がアイデアを追いかけているようだった。邦子の声も初めて聴いた。「向田でございます。私、ただ今出かけておりまして、これは録音テープでございます」。少し高く、早口なのは東京っ子の証。それを和子さんに話すと「正直に言って、スカしているのよ」と笑った。

 合津さんは一度だけ邦子と話したことがあるという。女性の転職情報誌『とらばーゆ』の企画で電話したら本人が出た。「三つの小説で直木賞受賞、働く女性としていかがですか?」と訊ねると、「あ、私、そういうことには全く興味ありませんの。ごめんくださいね」とガチャリ。「ものの三秒で終わっちゃった。でも男だから女だからで仕事をしてきたわけじゃないと、気づかされました」

 向田和子さんは会期中、毎日会場に顔を出した。「若い方が勇気を出して私にちょっとお話ししていいですかって声をかけてくれたり、ファンの方が姉の言葉を全身に受け止めてお帰りになった。素敵な11日間でした」

 和子さんとの話が終わって外に出ると雨は止んでいた。亡くなるまでの10年余り、向田邦子が暮らした南青山の夕日はまばゆく、すがすがしかった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

週刊朝日  2021年3月19日号

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延江浩

延江浩

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー、作家。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞、放送文化基金最優秀賞、毎日芸術賞など受賞。新刊「J」(幻冬舎)が好評発売中

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