作家の下重暁子さん
作家の下重暁子さん
写真はイメージです(Getty Images)
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、雛祭りについて。

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 山形県の鶴岡から見事な雛菓子が送られて来た。鯛を中心に、野菜や果物をかたどった生菓子が並ぶ。名産のさくらんぼ、たけのこなど見事な出来である。

 鶴岡や酒田など庄内地方は雛飾りの有名な地帯だが、お菓子屋で雛菓子を特別に作るのは鶴岡だけだという。

 この時期になると酒田の旧家である本間家をはじめ、豊かな商家では競って雛を見せる。「雛見」と称して観光客も方々から訪れる。

 酒田は北前船が京から数々の雛を運び、特に本間家は代々、跡継ぎが女の子だったせいで、その度に新しい雛が買い整えられ、江戸時代からありとあらゆる雛が蒐められていて見事である。

 鶴岡は酒井家の城下、商家の酒田とはまた違った、品のいいお雛様と代々のお道具の数々が飾られる。全国で競い合って余りに華美になっていくことを危惧して、幕府が禁止令を出したこともあったとか。

 本間家の当主だった万紀子さんや酒井家の殿様の一家と親しかった私は、どのくらい、お雛様を堪能させてもらったことか。まさに三月は目の正月だった。

 というのは日本各地では都市部を除いて旧暦で雛祭りのお祝いをするところが多い。

 かつてはお雛様は終わったらすぐしまわないと縁遠くなる、もっとはっきりいえば、結婚できなくなるといわれ、それを恐れて三月四日になるとすぐしまったものだというが、慌てることはない。旧暦では四月三日までで、まだ一月もあるのだと思えばいい。

 わが家は二月の半ば頃から三月半ば頃まで飾っている。

 その私のお雛様は、戦後とうの昔に売ってしまった。

 人形造りを趣味としていた父方の祖母の手造りした内裏様は大きくて見事なものだったが、食料難の犠牲になって農家に売られ、お米に替わってしまった。

 古道具屋で私の雛探しをしたが、とうとう見つからず、悲しんでいるのを見て、松江の旧家の友人が倉から出て来たといって、古い享保雛を譲ってくれた。今は毎年、玄関に飾ってその瓜ざね顔の上品なかんばせを楽しんでいる。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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