ある日の夕暮れ、私はまた堤防の上に立って大河を見つめていた。

 周りはますます暮れて、石狩川の水の流れも空に合わせて黒い色を帯びてきたとき、堤防のずっと下にある舟着き場に向って上流から一艘のべか舟が近づいてきてそこに係留された。そして一人の漁師が舟から蟹カゴのようなものを幾つか揚げてから、獲物を水中に沈めていた大きな生簀の中に移している。その作業を急いで終らせると、漁師は懐中電灯を照らしながら堤防の土手を上ってきた。私は、声が届く辺りまで来たとき、

「どう、漁れたあ?」

 と声をかけると、漁師は薄暗闇からの突然の声に驚いた様子で、手に持っていた懐中電灯を私の顔に向けた。そしてすぐに安堵して、

「なんだあ、先生でねえがい。こんな時間に散歩なんてしてっと風邪引くべさ」

 と私を気遣ってくれた。その人は川漁師の中江直之さんで、その日も川蟹を獲ってきたという。中江さんは大好物の川蟹を時々ご馳走して下さるので有難い人である。

 私と中江さんが堤防を下ってそれぞれの帰り途に就くという時、彼は突然奇妙なことを言い出した。

「先生ね、石狩川は病んでんだわ。どうもおかしんだ。前のように蟹は獲れねえし雑魚もあまり見かげねえ。その代りこれまで見だごともねえ魚がよく網にかかってくるのさ。こないだは鯉に似たソウギョなんていう大きな魚が入っていたり、ブラウントラウトだどかニジマスなんていう本来この川にはいながったのがかかるのさあ。逆にね、いつも見てだヤツメやドジョウ、カジカ、ヨシノボリなんていうのはどっかに行ったんだべか見えねえのよ。やっぱり石狩川は病んでるとしか思えなくて……」

「確かにそうかも知れないね。護岸工事だとか異常気象とか、周辺の開発による環境の変化など、このところ急激にいろいろなことが起っているもんね」

「んださ。人間だってそだべさ。体のあちこち掘られたり、切られたりしたら病んじゃうべし、異常気象で体がギラギラ照らさっちゃり、反対にすごく凍れたら病んじゃうべし、煙だのスモッグだの塵なんてのが空気の中にいっぱいあったら病んじゃうもんね」

「まったくそうだよね。次の世代のためにも皆んなで川を守ってあげないと。子供たちの力も借りてね」

「まったくそうなのさ」

 私と中江さんは、別れ際での立ち話でそんな会話をして、それぞれの帰途に就いた。私は札幌の家に向かう車の中で、中江さんのひと言がずっと心の中に引っかかっていた。「石狩川は病んでんだわ」。
川の漁師には、それが一番よく分っているのである。(了)

小泉武夫(こいずみ・たけお)/1943年、福島県生まれ。東京農大名誉教授で、専攻は醸造学、発酵学。世界各地の辺境を訪れ、“味覚人飛行物体”の異名をとる文筆家。美味、珍味、不味への飽くなき探究心をいかし、『くさいはうまい』など著書多数。

週刊朝日  2021年3月12日号より抜粋