身長186センチの迫力の見た目なのに、話すとどこか柔和で、そのギャップが魅力かも (撮影/写真部・小黒冴夏)
身長186センチの迫力の見た目なのに、話すとどこか柔和で、そのギャップが魅力かも (撮影/写真部・小黒冴夏)
吉原光夫 (撮影/写真部・小黒冴夏)
吉原光夫 (撮影/写真部・小黒冴夏)

 昨年のNHK連続テレビ小説「エール」で強面の馬具職人を演じた吉原光夫さん。42歳の実力派には、どんな転機があり、どんな夢があるのか。劇団四季を辞めた日の回想からお届けする。

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>>前編/NHK朝ドラ「エール」で注目の吉原光夫 劇団四季“土下座退団”の過去】より続く

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 挨拶がわりに、愛車のハーレーで劇団の周りを一周し、そのまま日本一周の旅に出かけた。

「名古屋や福岡など、全国の劇団四季を回って、同僚たちに辞めたことを伝えるついでに、そのまま誰かんちに転がり込む、みたいな(笑)。でも、富山の親戚のところに向かう途中でハーレーが壊れて、バイクはレッカー車で、僕は電車で東京に戻りました(笑)」

 貯金も底をつき、ハーレーを売ったお金で燃費のいいホンダのバイクを買い、バイク便を始めた。

「1年後、たまたま劇団四季に届け物をすることになり、バイク便のツナギのまま稽古を見せてもらったんです。みんなが頑張っている姿を見て、『俺、夢を追いかけて四季を辞めたはずなのに、演劇を全然やってねぇ。ヤベェな』と思って(笑)」

 元劇団四季の俳優と一緒に、劇団「響人」を立ち上げた。最初は、演出家を立てずに自分たちだけでやっていたが、「ちゃんと芝居を勉強しよう」と参加したあるワークショップで、ニューヨークのアクターズスタジオで演出を学んで帰ってきたばかりの小川絵梨子さんと出会う。小川さんといえば、18年から新国立劇場の演劇部門の芸術監督を務める、次代の演劇界を背負って立つ逸材。吉原さんとは同い年だ。

「絵梨ちゃんがまだ売れてない時代に、うちの劇団の演出をただ同然でやってもらっていたんです。俺が、11年にジョン・ケアード版『レ・ミゼラブル』のオーディションに受かったのも、絵梨ちゃんのおかげだと思っています。当時は、『オーファンズ』という作品をやりながらオーディションを受けていて、絵梨ちゃんから、“歌唱とセリフをどう繋げていくか”みたいな指導を受けていたので」

 以来、吉原さんは、ミュージカル俳優として確固たる地位を築いていくのだが、舞台に立ちながらこれまでに一度も、「ここが自分の居場所だ」という実感を得たことはないという。

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