美智子さんは、お妃教育で忙しい身だったが、50分だけスケッチの時間を空けてもらった。絵を描きながら小磯氏は、こんな感想を抱いた。

「美智子さんかお母さまかが『描いていただくなら、正面よりななめ横の方がいい』といわれたように記憶している。けれど、私は正面のほうがいいと思っている。安定したいい面立ちである。目がたっぷりした感じで、どこか東洋的なものを感じさせ……おじいさん(貞一郎氏)の古武士のような風格を、どこかに受け継いでいるように思う」

 素描画は新聞に、着物を着た油彩画は週刊朝日の表紙を飾った。

 元日本テレビプロデューサーの渡辺みどりさん(86)は、婚約会見とご成婚のなかでミッチーブームに沸いた当時の熱気を体感したひとり。

皇族でもない華族でもない民間出身の皇太子妃の誕生。そしてお見合いによる結婚が当たり前であった時代に、テニスコートでの運命の出会いですから、日本中が衝撃を受けたのは当然です」

 渡辺さんも、体当たりで取材に挑んだが、明仁皇太子の浜尾実侍従はよく話してくれた。宮内庁側とマスコミの間に、ある種の信頼関係が存在していた時代だった。浩宮(現天皇)さまと礼宮(秋篠宮)さま、紀宮さま(黒田清子さん)が生まれ、「ナルちゃん憲法」や皇室の慣習を超えて子どもと一緒に暮らす等身大のご一家の姿がメディアに報じられた。

「人びとは昭和の理想の家族を、ご一家に投影したのです」(渡辺さん)

 昭和の幕がおり、時代は平成に移った。

「象徴天皇として初めて即位した明仁天皇は、政治が期待する天皇像と自ら追い求める像との間でギリギリの立ち位置を探り続けた」(前出の石井さん)

 平成4(1992)年10月。中国との国交正常化20年の節目に、明仁天皇と美智子皇后は中国を訪問した。週刊朝日は、同行した石井さんのドキュメント記事<「天皇」初訪中、五泊六日の旅>を掲載した。

<十月二十三日 警視庁が警察官二万六千人を動員、テロ、ゲリラを厳重警戒する中、天皇、皇后ご夫妻は午前、東京・羽田空港を北京に向け出発した。首席随員は渡辺美智雄副総理・外相──>

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