「スマホ(スマートホン)ケイタイ電話プラスパソコン。つまり電話をかけられるパソコン」
そこで質問した。
「じゃあパソコンって、電話をかけられないの?」
「かけられない」
「じゃあスマホは? 電話かけられる?」
「かけられるよ。電話だもの」
「でも電話だけじゃないんだよね」
「そうだよ。だってコンピューターみたいなもんだもの」
「じゃあスマホはパソコンなの?」
「違うよッ! 電話だよッ!」
孫は怒り、私は勉強をやめた。
私は黄土色のソファに座って今日も庭を見ている。蝋梅は散った。白梅がほころび始めている。目の前にテレビはあるが、見るためにそこにいるわけではないから、見ない。ぼんやりと私は思っている。
──そもそも文明の進歩とは、人間の幸福を目指すものではなかったのか?
今は何を目指している?
ただ思いをめぐらせているだけで、答を求めているわけではない。すぐに忘れる。それからまた思う。
──文明は進歩しているが人間は進歩しているのか? 劣化ではないのか? 進歩していると思いながら劣化していっているのではないのか?
かつては同じことを激越にしゃべったものだ。
そして聞き手を困らせたものだ。今は思うだけだ。ぺらぺらしゃべると疲れる。孫が聞いたらいうだろう。劣化しているのはおばあちゃんじゃないの、と。
だが、こうしているのも悪くないのだった。これはこれで悪くない。何をしたい、何を食べたい、誰に会いたい、どこへ行きたいということがなくなっている。脚萎えになったら人に迷惑をかけるから鍛えなければ、とも思わない。
黄土色のソファの一部になって私は生きている。これでよい。これ以上に望むことは何もない。九十七年生きて、漸くそう思えるようになってきたことを有難いと思うことにする。(了)
※週刊朝日 2021年3月5日号