寂庵では、四人の世話係が、日と共に私からの迷惑に嘆息しています。

 最初の頃は、

「ええ? それちがいますよ、10分前にこういったじゃないですか! いくらボケたってこんな正反対のことが、10分後にしゃあしゃあと言えますね、やっぱり、病院に行きましょう」

 と責めたのですが、私はガンとして病院へは行きません。

 自分が老い呆(ぼ)けたことくらい、自分でわかってるよ!と、肚(はら)をくくっています。

 まだ、一日二度の食事は食べ忘れたことはないし、コーヒーと、お茶を間違えたこともありません。

 原稿の締切(しめきり)も、ちゃんと紙に書いて、机の真中に置いてあります。A社に出す原稿を、B社に送ったりしたことはありません。

 まあまなほ姉妹がついていて、わいわい叱りながら、監視しているので、仕事上の大きなミスは、まだしない様子です。

 寂庵では彼女たちの最近の口癖は、

「だって、百だものね!」

 ということです。私がヘンなことしたり、言ったりすると、たちまち、目と目でうなずきあい、その言葉を繰り返しています。

 ある日から、私自身が、それを自分の口で言ってみたら、とてもすんなり彼女たちがうなずいたので、これ幸いと、何か失敗をしたなと思った時は、いち早く、自分で、

「だって、百だものね!」

 と叫ぶようにどなっています。

 一九二二年生まれだから、たしかに今年は数え百歳ということになります。

 天才は早死にするものと、若い時から早世に憧れていたのに、病気をしても、怪我をしても、必ず治って生き返ってしまうのです。

 ヨコオさんも、よく病気をしてハラハラするけれど、必ず、治って、また絵を描いています。天才にも、短命と長命の二種類があるのかしら。

 そう、そう、お手紙で、ヨコオさんは、私の愚かさを、さんざんあげつらって、嗤(わら)っていらっしゃいますが、百歳にもなって、頭がしっかりして理路整然としているババアなんて、気味が悪いだけじゃないですか?

 呆けて、阿呆なことを言ったり、したりするバアさんの方が、可愛らしいとおもいましょう。では、おやすみ。

週刊朝日  2021年3月5日号