細川さんが決心してくれたから、武村さんもついてこざるを得なくなり、大勢は決しました。93年の衆院選挙で自民党は過半数割れ。戦後初めて、非自民連立の細川内閣が誕生しました。

 2度目に政権を奪取したのは2009年のことです。当時は自民党の麻生太郎政権。「国民の生活が第一。」という民主党のマニフェストが旗印となって、国民の気持ちをとらえました。僕も全国津々浦々を回って、人気が尻上がりで上がっていくのを肌で感じました。

 ところが、僕は陸山会事件で検察から刑事訴訟を起こされ、その後の政治活動を妨害されてしまいました。民主党の代表も辞任し、鳩山由紀夫氏と交代することになりました。しかし、選挙は代表代行として僕が一切を取り仕切り、その結果、8月の衆院選で民主党が308議席を獲得して、民主党政権が誕生。鳩山さんが首相に就任しました。いま思えば、あの勢いなら代表を交代しなくても選挙は勝っていたなと思います。

 自民党が2度政権を失い、裏を返せば野党が2度の政権を奪取した。僕がその原動力としてお役に立てたのは嬉しいことです。だけど、残念なこともあります。1度目のときは細川さんが突然、首相を辞めなければまた違った展開になったでしょう。あのころは自民党からボロボロと離党者が出ていたんですから。

 民主党政権のときは、野田佳彦元首相が、国民に対して「消費税の値上げをしません」と選挙公約していたのにもかかわらず、消費税増税法案を通すために自民党と手を結んだことが最大の失敗でした。そんなことをしなければ自民党は潰れていたのに、古い自民党が生き返ってしまった。利権と腐敗の自民党は一度潰して、新しい自民党として立て直さなければいけない。それが僕の持論です。もちろん、これからもう一度、3度目の政権交代を実現させます。そうしないと日本に民主主義が定着しませんから。

 週刊朝日は99周年ということですが、僕から言いたいことは「権力におもねるようになったらおしまいだよ」ということ。朝日というイメージの中に、国民は「弱きを助け、強きをくじく」を見ているんだから、それを裏切るようなことをしちゃダメですよ。

(本誌・上田耕司)

週刊朝日  2021年3月5日号

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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