45年7月15・22日号には、海軍大佐の高瀬五郎による「勝つ途(みち) 近きにあり 本土決戦に備へる国民の態度」と題した記事が掲載された。軍人、民間人ともに多くの犠牲者を出した沖縄戦が終わった直後だったが、高瀬は沖縄戦を「陸海軍としては来るべき作戦に対する自信を得た」と総括し、戦争完遂を訴えている。

 ところが、同号には「ポツダム記者会談」という外国人記者同士の会話を描いた謎の戯曲台本も掲載されている。舞台設定は「新聞特派員の宿舎で交わされた会話」。米国のトルーマン大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相の間で行われたポツダム会談の背景について分析したものだ。

 内容は際どい。台本の中の<ところで、この会談で対日策はほんとに取り上げられるか>との問いに、英国人記者が<チャーチルが総選挙に勝つか負けるかによってきまると思う。僕の見るところでは、保守党は惨敗だね>と返す。保阪氏は言う。

「実際、この記事のとおり、45年7月の総選挙ではチャーチル率いる保守党が敗北しました。当時の情勢を的確に分析しています。週刊朝日の記者の中に、英語に堪能で、国際情勢に精通した記者がいたのでしょう」

 米国人記者には、沖縄戦が終わった後の戦局の見通しについて、<米軍だけの力で悠々と対日戦は片づけられる、というのが米政府の肚(はら)らしい>とも語らせている。

 日本軍が負けることを想定する内容など、検閲を通るはずはない。なぜ、これが掲載できたのか。保阪氏は言う。

「敗戦が濃厚になると、検閲もだんだん機能しなくなった。検閲をする側にも、敗戦後の戦争責任の追及を避けたいという思いがあったからです。記者もそのことを理解して、このような形であれば検閲も通ると考えたのでしょう」

 時代は変わっても、一歩間違えばメディアが権力の手先になり、都合よく利用される構造は今も変わらない。私たちは過去から何を学べばいいのか。保阪氏は、こう話す。

「近現代史を学ぶのは、誰かの責任を追及するためではありません。社会の制約があるなかで、その時代の人たちはどう生きたのかを知ることに価値がある。記事に書かれた言葉も、メッセージは一つとは限りません。その文章が本当に伝えたいものは何か。眼光紙背に徹して読むことです」

 45年8月15日、日本は戦争に負けた。週刊朝日8月12・19日号の誌面には「善敗者として発足せよ」と題したコラムが掲載され、そこにはこう書かれていた。

「日本始まって以来の大失敗の原因は広く探らねばならない」

 その言葉は、戦後75年が経った今でも意味を失っていない。(本誌・西岡千史)

※肩書は掲載時のもの。文中の敬称は一部省略、引用は必要に応じて現代仮名遣いに改めました。

週刊朝日  2021年2月26日号