「宇野千代は夫の看護を理由に断った。しかし芙美子は過去の業績があるし、発禁処分を挽回したい気持ちもあったと思う。私だって、その時になってみないとわかりません。結局は、虚ろな記事を書かされてしまうかもしれない」

 芙美子は戦後も売れっ子作家として忙しく活動する。代表作の一つである『浮雲』もこの時期に生まれた。だが、心臓に持病を抱えながらの激務が影響したのか、51年に心臓麻痺で急死する。47歳の若さだった。

「本人の中では、兵隊を賛美しすぎたという反省があったと思います。『放浪記』が売れたことで大衆的と言われてますが、純文学作家で、詩人です。しかし、書いたものは取り返せないし、『戦争協力者』のイメージもついてしまった。戦後の無茶な仕事ぶりはその反動で、『自分はこういうことも書ける、いや、書きたい』と思ったのではないでしょうか」

 桐野氏の新作小説『日没』は、『ナニカアル』とも通底するメッセージを持つ作品だ。主人公の女性作家・マッツ夢井のもとにある日、「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織から召喚状が届き、「社会に適応した」作品を書くための矯正施設に収容される。現代を投影するディストピア(逆ユートピア)小説だ。『日没』で描かれた世界と、芙美子が生きた時代にはどのような共通点があるのか。

「あらためて読んでみると、『ナニカアル』は『日没』の下敷きになっていますね。『日没』を書き始めたのは5年前ですが、最近は作品で描いた世界に、私たちがいる現実世界が追いついてしまったように感じます。最近の日本、何か変じゃありませんか?」

 新型コロナウイルスの感染拡大の中では「自粛警察」という現象が起き、有名人の不倫に対する批判は過剰とも思えるほどに燃え上がる。こうした社会は、「厭戦思想」を口にしただけで憲兵ににらまれ、迫害される『ナニカアル』で描かれた戦中の世界と通じるものがある。

「人間同士がお互いに監視し合い、少しでも公序良俗に反した人は批判される世界です。しかも現代のそれは国家権力が強制しているのではなく、庶民が自主的に悪い方向に向かって動いている。他人をほめたり、祝福したりするのではなく、減点方式で人を評価する。ポジティブな方向に目を向けることが苦手な国民性が、コロナ禍で悪い意味で表れています。他人に不寛容になることは、ファシズムへの道。自粛し、縮こまって不寛容になると戦前と同じになってしまいます」

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「出る杭」が叩かれる日本 声をあげる女性には希望が持てる