「20代、30代の頃のほうが、悶々としていたかもしれません。体力や若さに任せて遮二無二走っていただけで、精神的には暗中模索で、不安だらけだったと思います。自分がどこに向かっているのか、先行きどうなるのかさっぱりわからなかった」

 こういうふうになりたい。こんなところへ行きたい──。理想ばかりが先行するが、実際に起こることは、想像もしていなかったことばかり。

「今回のコロナもそうですが、自分が思い描く人生の計画なんていうのは、あっという間に崩れていきますよね。『こんなはずじゃない』と歯がゆく思う出来事が、何度も起こる。もし私の人生が計画どおりに進んでいたとしたら、この年で芝居はやっていなかったはずなんです。結婚して、子供を産んで、今頃は孫を相手に遊んであげているような年齢なのでは、って思うんだけれど、気がついたら、『あれ? まだ芝居やってるぞ』って(笑)。ビックリですよ」

 ある時期から、目標は細かく立てず、何かを目指すことをやめた。人生、なるようになる。ただ目の前のことを一生懸命やるだけだ。そう考えるようになってからは、到達できないことに対して失望したり、諦めたりすることがなくなった。

「何十年も芝居に関わっているんですけど、出会う役は、どれひとつとして同じものはない。一回一回、はじめての体験をさせてもらっているんです。だから、一回一回が勉強になる。その勉強が少しずつ積み重なって、昔できなかったことができるようになったりして。いくつになっても、自分が変わりたいと思いさえすれば成長できるんじゃないか。最近とみに実感してます。年はとっていくけれど、自分が望みさえすれば、学びの機会はすぐそばにあって、世界っていうのはどんどん広がっていくなあって。だから、芝居熱が終息していく気配はないですね」

(菊地陽子 構成/長沢明)

木野花(きの・はな)/1948年生まれ。青森県出身。弘前大学教育学部美術学科卒。大学卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職、上京し演劇の世界へ。74年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。86年、同劇団を退団。現在は、女優・演出家として活躍中。

>>【後編/木野花「演劇を始めたのは勘。教師に戻れるかもと妄想していた」】へ続く

週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋