そのあと、街へ散歩に出たら、目につく菓子屋に、必ずはいって、ぜんざいを召し上がるのでした。あんまり美味しそうなので、つい、つられて、私も注文してみますが、とてもヨコオさんの何分の一も食べきれません。その甘党ぶりと、スマートなほっそりとしたスタイルの違和感に、まずびっくりさせられたことでした。

 以来、つきあう度に、ヨコオさんの甘党ぶりに慣れて、どこかの旅先や、散歩の途中で、甘い物屋の店先を通ったりすると、必ず、ヨコオさんの甘い物を食べている時の、和やかで無邪気な表情を想(おも)い出すのです。そんなに甘い物好きなのに、ヨコオさんはいつだって、ほっそりスマートなのは、どうしてだろうと、寂庵ではよく話題になっています。

 もの心ついた時から、ひどい偏食の私の数少ない好物に、小豆飯があります。それもあたたかい炊きあがりではなく、さめた冷たい小豆御飯(ごはん=古里の徳島では“おこわ”と呼んでいた)が大好きで、さめたおこわのお茶漬けが何よりのお気に入りでした。小豆御飯をお茶漬けにすると嫁入りの時、雨になると、年寄りたちが言い習わしていました。それでも私は「おこわのお茶漬け」が止められませんでした。ところが嫁入りの時は、一滴の雨も降りませんでした。

 赤飯のお茶漬けなど、消化が悪いに決まっているので、子供に食べさせまいとしたのは、大人の知恵でしょう。私の命がみじかいと信じきり、わがまま一杯に育ててしまった母の、無教養を、私は一度だって怨(うら)んだことはありません。二十の時、自分で気づいて、断食寮へ入り、四十日かけて、本式の断食をして、すっかり体を仕立て直したのがきいたのか、今や数え百歳まで長生きしています。

 最近、さすがに体が弱ってきて、歩く旅はあきらめきっています。

 脚の丈夫だった頃、インドへ何度も行ったことなど夢のよう。それもヨコオさん父子と御一緒したのは夢のようですね。

 いつ行ってもインドは、ここを昔々、お釈迦さまは、御自分の脚で歩いて通られたのだと思われる路が至るところにありました。歩きつかれて、傷んだ靴で、一歩一歩踏みしめながら、この道をたしかにお釈迦さまは歩いて行かれたのだと想うと、不思議な体力が疲れ切った自分の躰(からだ)にみなぎってきた感覚を、忘れることができません。

 御一緒したインドの旅も、二十年も昔の想い出になりました。生き過ぎたと思います。

寂聴

週刊朝日  2021年2月12日号