とかなんとか、お互いに、口から出まかせに自己主張。ぜんざいから芸術論争に発展してしまった。編集者は大満足で、版画の芸術性とデザインの大衆性、まさにハイ&ローの実に今日的な課題だと喜ぶが、こっちは、カリカリ。「対談は成立しない」打ち切ろう、ということになってしまった。

 箱根温泉まで来て、仕事が成立しなくなってしまった編集者は、マッ青。「まあ、まあ、温泉でも入りませんか」ということになって三人で大浴場に入ることになった。お互いに裸になって言いたいことを言ったが、本当の素裸になると、先(さ)っきまでのぜんざい論争がバカバカしくなってしまった。やっぱり素裸になると対談は仮面の告白で、お互いにつっぱり合っていたことがわかって。池田さんと顔を見合せて、湯船の中で大声で笑いころげたものだ。

 こうして、本気で自己主張することで、お互いに吐き出すものを吐き出して、なんだか、お互いのカルマが解脱したように思えた。池田さんとはこの日以来、気心の知れた仲になって、ニューヨーク、サモア、タヒチ、フランスへと度々、旅行などして、一度ももめることはなかった。本当の友人とは言いたいことを言い合って空っぽになった時、親密になるように思えた。精神の裸と肉体の裸を両方見せたら、問題(対立)がなくなった。

■瀬戸内寂聴「スイーツ好みでスマートなヨコオさん」

 ヨコオさん

 今朝の京都の新聞は、一面の真中に、塗椀(ぬりわん)に、大きなおの浮(うか)んだ「ぜんざい」の写真が坐(すわ)り、「節分は“ぜんざい”で厄除(やくよけ)招福」と、大文字で謳(うた)っています。

 その写真の美味(おい)しそうな「ぜんざい」を見たとたん、ヨコオさんの和んだ顔が浮かびました。

 ヨコオさん御夫妻と一緒に温泉へ旅した時、一夜を明かした朝の食事に、ヨコオさんは味噌(みそ)汁の替(かわ)りに「ぜんざい」を要求し、それが運ばれてくると、さも美味しそうに三杯くらい、あっという間に食べてましたよね。いつもすっきり痩せていて、スマートなヨコオさんが、若いムスメのように、甘いぜんざいをペロリと召し上がるとは!

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