※写真はイメージです (GettyImages)
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 99年にわたる「週刊朝日」の歴史の中で、その時々の時代を投影する数々の連載が生まれた。連載小説の歴史にも、吉川英治に三島由紀夫、池波正太郎など、豪華作家陣の名前がズラリと並ぶ。現在も「コンセント抜いたか」を連載する作家の嵐山光三郎氏に思い出を聞いた。

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「コンセント抜いたか」の連載が始まったのは1997年4月27日のことで、24年が経ちました。当時僕は55歳(今は79歳)。あっというまの24年。カンムリョウです。

 97年は経済が低迷し、株価が大暴落。山一証券が自主廃業を決め、北海道拓殖銀行の経営破綻など、平成不況と言われた時代でした。

 そんななかの嵐山の立ち位置は「なまぬるい日本列島に、ふわりと、しかもカミソリの感性で浮かぶ」というものでした。「世間が乱れてケーハクという時代で、ならば、さらに過激なケーハクを見せよう」という意志でした。連載を始めた1年目はとても楽しかったですね。

 当初はイラストを渡辺和博さんに描いてもらっていました。でも、2007年に亡くなったんです。亡くなる寸前に最後のイラストを病室で描いて送ってくれました。あれは泣けましたね。

「コンセント抜いたか」は毎週連載で、自分には毎週締め切りがある、ということが性分にあっています。僕の連載が始まる少し前に連載が終わった「週刊村上朝日堂」の村上春樹さんが、毎週締め切りがあるのは大変だと話したこともありました。

 今も連載が続いている「ブラック・アングル」(76年~)の山藤章二さんとは、NHKラジオ番組でしょっちゅう顔を合わせていました。東海林さだおさんの「あれも食いたい これも食いたい」(87年~)は僕より10年先に始まっていますね。東海林さんは僕がかつて編集をしていた月刊「太陽」に連載してくれました。「暖簾にひじ鉄」(01年~)の内館牧子さんは週刊朝日編集部の読者の集いなどでよくご一緒しました。「ゲストコレクション」(95年~)の林真理子さんは僕とデビューがほぼ一緒だけど、目を見張る勢いで活躍されていますね。山藤さんは大先輩で、東海林さん、内館さん、林さんはなんだか「週刊朝日」の同志という感じもします。まだまだこれから! 枯れてたまるか!

週刊朝日  2021年2月12日号