この本のいいところのひとつは、たとえばこのアドレスに関してなら、問題とし、とりあげて言及はしても、かならずしも解決するとは限らない、という注釈をつけることだ。だからaddressは、問題としてとりあげて言及はするけれど、かならずしも解決できるわけではなく、具体的な解決策を示すわけでもない、というような意味合いになる。宛て先、とだけ記憶していると、このような意味のぜんたいが、すっぽりと抜け落ちる。

 ふたつ以上の意味を持つ言葉なら僕だっていくつも知っている。たとえばイントロデュースだ。これはもう日本語になっているし、名詞のイントロダクションならもっと日本語だ。紹介する、という意味だが、導入する、という意味もある。

 お寺の鐘は、英語だとベルとしか言いようがない。授業開始や公演開始の、あのベルだ。お寺の鐘のことを英語でなんと言いますか、という質問にベルですと答えられる人は少ない。「じつは知らない」日本人は九割を越えるのではないか、と僕は感じる。

「じつは知らない」のは、勉強のしかたがよくないからだ。知らないと、試験で正解が出来ない。こいつは知らないな、とすぐにわかる。減点の対象となる。知らないことによる間違いは、もっとも減点しやすい。

 もっとも減点しやすい英単語の勉強を、いまも続けている日本の若い人たち。減点のための勉強。「じつは知らない」とは、こういうことでもある。

週刊朝日  2021年2月12日号