旭川医科大の吉田晃敏学長(C)朝日新聞社
旭川医科大の吉田晃敏学長(C)朝日新聞社
吉田学長が昨年3月1日に大学教職員にメールした書面(その1)。タイトルからは、経営再建への学長の強い思いが読み取れる
吉田学長が昨年3月1日に大学教職員にメールした書面(その1)。タイトルからは、経営再建への学長の強い思いが読み取れる
吉田学長が昨年3月1日に大学教職員にメールした書面(その2)。眼科の手術室をコロナ患者の受け入れ先に転用することに対して強く反対していたことがわかる
吉田学長が昨年3月1日に大学教職員にメールした書面(その2)。眼科の手術室をコロナ患者の受け入れ先に転用することに対して強く反対していたことがわかる

 国立・旭川医科大学(北海道旭川市)が騒動で揺れている。11月、付属の旭川医科大学病院の古川博之病院長がコロナ患者を受け入れると進言したのに対し、吉田晃敏学長が「受け入れるなら、代わりにお前が辞めろ」と発言したことが発覚。1月25日、報道機関に内部情報を漏らしたなどとして大学は古川病院長を解任したのだ。

【写真】昨年3月に学長から教職員に送られた書面はこちら

 吉田学長は旭川医科大の1期生からトップに上り詰めた人物。遠隔医療システムの開発で実績があり、同氏を古くから知る大学関係者A氏によれば「学内ではカリスマ的、天才的な存在だった」という。

 政治家との距離も近かったようだ。吉田学長のHPを見ると、2007年に開催されたシンポジウムでは、安倍晋三・自由民主党総裁(当時)から、開催を祝うメッセージが送られている。18年には世耕弘成・経済産業大臣(当時)、橋本聖子参議院議員と並んだ写真も出てくる。

「複数の政治家と交流があり、安倍晋三前首相や鈴木宗男議員とも仲が良いと言っていた。一昨年に皇室行事の『講書始の儀』に招待された際は、招待状を大学の玄関に飾っていたことも。とにかくやり手なんです」(A氏)

 ただ、別の大学関係者は、「吉田学長はトップダウン志向が強く、たびたび部下を強く叱責することあった」と証言する。A氏も「辞めろと言われたことは何回もある」と振り返る。

「感情の起伏が激しく、突発的に怒りが爆発することがある。病院長への『辞めろ』発言についても十分に考えて出た言葉じゃないと思いますよ。『今のは悪かった、言い過ぎた』と言えれば丸く収まるんでしょうが……」(A氏)

 一方、解任された古川病院長は生体肝移植のエキスパート。10年に「旭川にも肝移植を定着させたい」という吉田学長の意向もあり北海道大学から招かれた。

 18年には病院長に就任。現場トップとして指揮を執ってきたが、コロナ患者受け入れを巡り吉田学長と対立した。

 昨年2月下旬頃には早くも、コロナ対応をめぐってひと悶着があったという。当時は北海道で感染者数が増加し、旭川市でも感染者が出始めた頃だった。旭川医科大病院では古川病院長らがコロナ患者の受け入れ先として、眼科の日帰り手術室を転用する方向で準備を進めていた。この手術室は個室でコロナ患者に対応するのには適していると判断したからだ。

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吉崎洋夫

吉崎洋夫

1984年生まれ、東京都出身。早稲田大学院社会科学研究科修士課程修了。シンクタンク系のNPO法人を経て『週刊朝日』編集部に。2021年から『AERA dot.』記者として、政治・政策を中心に経済分野、事件・事故、自然災害など幅広いジャンルを取材している。

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病院長に「待った」をかけた吉田学長