とにかく、今号のセトウチさんの文章は2号前に僕が書いた内容に対する異議申し立てのような文です。

 当然、読者はおわかりだと思いますが、その文中で、「女流作家は○○」で小説を書くと言った批評家がいて、当時、随分話題になった。そのことを引き合いに出したのに過ぎないのですが、セトウチさんは僕が「しゃあしゃあと書いておられます」と、おっしゃって、えらい濡れ衣(ぎぬ)を着せられたように思うのですが。また「子供を産む所と作品を生む所が同じなんて、宇宙的で」あると書いたことが「女をバカにしている」とおっしゃっている。

 僕があの文章で本当にお伝えしたかったことは、芸術家の中の男性原理と女性原理が精神の内部で合体して作品が生まれる、ということです。

 女性原理は霊感の受信能力、男性原理は発信能力。この両者の結合によって作品が成立するのです。芸術家が両性具有といわれる由縁です。

 このことと、○○で書くという行為はもしかしたら同一行為かも知れませんが、僕は通俗的な話をしているのではないのですよ。

 むしろ宇宙原理に於(お)ける創造行為の話をしているのです。

 ですから、セトウチさんの感情的な言葉は僕の中では空廻(まわ)りするだけです。誰が誰に対して言ったのかは知りませんが、○○で書くという発想は比喩としても、宇宙原理的にも間違っているとは思えません。中々(なかなか)、理にかなった発言で、現在だったら「流行語大賞」ものかも知れませんね(笑)。

 それにしても僕に対する人格批評はいただけませんね。「無口で品がよさそうに見せているけれど、本心はこれほど女をバカにしている」とは何(な)んだか凄(す)げえ発言ですね。

 おお怖、ああ怖。さあ、頭、空っぽにして、絵を描きましょう。絵は宇宙とのエロティックな戯れです。絵は言葉を発しません。無心で遊べます。愚に徹して遊べます。何と言っても何をしても、美の女神は全て許します。なぜなら芸術は目的を持たない快楽です。それ自体が目的だからです。

週刊朝日  2021年2月5日号