何ということでしょう。「子供を産む所と作品を生む所が同じなんて、宇宙的で凄(すご)いじゃないですか」なんて、あまりひどいと思います。

 ヨコオさんは、さもやさしそうな顔をして女性に向い、無口で品がよさそうに見せているけれど、本心はこれほど女をバカにしている。

 ヨコオさんの前々回のお便りに、私が格別興奮してヒスっているのは、私が小説を書き始めた頃、自分の性性能のいいことを自慢して、宣伝しているとか批評されて、頭にきたことを想(おも)い出したからです。あんまり癇(かん)にさわったので、「そんなことを書く作家はインポテンツで女房は不感症だろう」と反駁(はんばく)文を書いたら、いっそう彼等(かれら)はいきり立って、私はそれ以来五年も、どこの雑誌からも干しあげられて仕事がなくなりました。今想い出してもぞっとするいやな想い出です。

 その時、私をいじめた作家や批評家は、ひとり残らず、あの世に逝ってしまわれました。そうして私は、彼等の名前も大方忘れてしまいました。悪口の的になった私の小説は、私の文学全集の中に残り、映画にもなりました。

 さてヒステリー寂聴は寝ます。起きた時には元に戻っていることでしょう。

 おやすみ。寂聴

■横尾忠則「両性具有の芸術家として申し上げます」

 セトウチさん

 というよりも、読者の皆さま

 お手元に2号前の週刊朝日(1月22日号)がありましたら、この「老親友のナイショ文」のページを開いて下さい。というのは、そこに書いている僕のセトウチさん宛(あて)の文章を、もう一度読んでいただいて、それからこの号のセトウチさんの文章を読んでいただくと話が通じやすくなるものですから。

 すでにこの号の右側のページに掲載されているセトウチさんの文章をお読みになると、

「ヘェーッ、なにが起こったの」

 と、びっくり、興味津々で、僕のこの文章に目を通しておられる最中だと思います。

 2号前の僕の文章をお読みになった方はハハーンと感応された方もいらっしゃるかと思います。

 といいますのも、あの書簡に対するセトウチさんの文章が、1号飛んで、この号に掲載されることになったのです。あの書簡を読むのを忘れていたセトウチさんがその後、読んで反応されたんじゃないかと想像するのですが、その真意はよくわかりません。

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