作家の下重顕子さん
作家の下重顕子さん
Getty Images
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人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、再び緊急事態宣言が発令された今の状況について。

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「緊急事態宣言」という言葉のおどろおどろしさが伝わって来ない。

 昨年は、人々が感覚的にその匂いを嗅ぎとっていたが、今回は感染者数、重症患者数、どれをとりあげてみても、本来なら昨年よりはるかに恐れていいはずなのに、なぜか人々は呑気に街歩きをしている。

 その理由は今回の緊急事態宣言の中途半端さにある。対策の中味が伴っていないのだ。

 飲食に重きがおかれ、二〇時までの時短営業が主である。これでは危機感を持てといっても無理かもしれない。

 特に時短という方法では、夜八時までは、普通に行動しても問題はないと思ってしまう。「不要不急の外出は自粛して」といわれても、何が不要不急なのか、これほど具体性のない言葉はない。ということは胸に突きささってくるものがないのだ。

 やはり前回同様、いやそれ以上に厳しく、具体策を講じなければ感染者数は減らない。一カ月で下降するとはとても思えない。

 私が不思議だったのは、Go To トラベルの停止を発表してから、実施までの期間が二週間もあったことだ。一二月二八日から実施ということは、若い人をはじめ、多くの人々が移動するクリスマス、年末の時期にまだOKで、すでに予約していた人たちは嬉々として出かけて行った。その結果が二週間後、二千人超えという数字になってあらわれているのだ。

 なぜもっと早くGo To トラベル停止宣言ではなく、実施をしなかったのか。そこが抜け道になっている。

 そしていま、中小の飲食店に休業や時短営業のしわ寄せがいって、大企業は痛くも痒くもない。

 IT産業や大企業など、経済大国の日本には、余剰金などこういう時にこそ使うべきものが積み重ねられていたはずだ。

 菅首相は医療のひっ迫を解消するために必要なお金は出すと言っているが、ほんとうに必要なのはお金や設備ではなく、そこで働く医者や看護師など人材である。

 その人材を国は育てて来なかった。経済、すなわち物流や消費ばかりに注力してきた。ある医療関係者に聞いた話では、現在勉強中の学生や先生まで動員するという厚労省の方針を聞いて現場からは失笑が洩れたという。まだ勉強中の学生やしばらく現場を離れた先生は実際の役に立たない。かえって足手まといになりかねないという。

 人は急には育たない。長い時間が必要になる。人こそが財産なのだ。日頃から計画的に人を育てる教育、特に医療関係の充実を急がねばならない。

 考えてみて欲しい。コロナだけではなく、急を要するあらゆる病気に自分がなった場合、救急車を頼むこともできず、入院先もない。救える命が失われていく。そういう状況が目の前にあるのだ。

 すでに医療崩壊が起きていて、おどろおどろしさの中に私たちは生きているのだ。

 そのことを他人事ではなく、自分のこととして知るべきである。

週刊朝日  2021年1月29日号

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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