「週刊司馬遼太郎」取材時の安野さん (撮影/写真部・小林修)
「週刊司馬遼太郎」取材時の安野さん (撮影/写真部・小林修)

『ABCの本』など楽しい絵本や『御所の花』などで知られる画家の安野光雅さんが昨年12月24日に肝硬変で亡くなった。94歳だった。

 島根県津和野町生まれ。画家を夢みていたが、復員後に山口で代用教員になり、後に上京。教員を続けながら絵を描き続けた。『ふしぎなえ』や『旅の絵本』など業績を書き始めたら切りがない。国際アンデルセン賞画家賞や菊池寛賞など受賞も多く文化功労者にも選ばれた。

 週刊朝日との関係も深かった。表紙に風景画を描いてもらったり司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の挿画を担当していただいたり。僕も付き合いは長かった。二人で旅をするようになったのは「週刊司馬遼太郎」という連載でカラーグラビアの絵を描いていただいてからだから15年以上前になる。年に4、5回は司馬小説の舞台でスケッチをしていただいた。「繪本 三国志夜話」の連載取材では中国にも同行した。

 安野さんの旅は電車や飛行機での移動時間のよもやま話が楽しい。海外で体験した珍道中や戦争中の兵隊時代の話などなど。ある時は小学生時代の「憧れの君」の話になった。恥ずかしがり屋で直接は話しかけられなかったが、目が合うとドキドキしたという。安野さん得意の「空想」も入っているのかもしれないが、こういう時の安野さんは口がとても滑らかになる。そして30分以上話し続けると、あっというまに居眠りを始めている。いつでもどこでもすぐに熟睡する特技を持っていた。

『御所の花』の取材では皇居の草花のスケッチに何度か同行した。上皇后美智子さま(当時は皇后)とも親交があり、安野さんがスケッチに行くと出てこられることがあった。飾らない安野さんの服装はジーパンにヨレヨレの仕事着。安野さんの面白い話に美智子さまが笑ったりする。時には電話で落語や短歌の話で盛り上がったそうだ。

 著作だけでなく人を楽しくさせることが好きだった。数年前まで3月20日の誕生日には故郷の津和野町立「安野光雅美術館」で行われる開館記念行事に行っていた。誕生日が同じ日の僕も参加して、毎回安野話を楽しんだ。同館は今年開館20年。記念行事と偲(しの)ぶ会を行う予定だという。(本誌元編集委員・山本朋史)

週刊朝日  2021年1月29日号