様々な修羅場をくぐり抜けてきた浅香さんだが、この1年くらいの暮らしぶりはどうだったのか。

「1日5食べていましたよ。眠っているか食べるか、でしたね。2人で外食へもよく行きました。浅草の老舗の喫茶店『デンキヤホール』の『ゆであずき』とオムレツの皮で巻いた『オムマキ』が大好物でしたね。ラーメン店へもよく出かけました」

 世志さんは今後、茨城県に引っ越す計画を立てている。

「茨城県に全部で2万5000坪くらいの広い土地がありまして、開発する会社の役員になっています。そこに浅香光代の芸能記念館、介護施設、ショッピングモールを造りたいと思っています。私は昔から、売れてナンボの芸能界だから、売れないで下の方でうろちょろする人生はつまんねぇと思っていましてね。新型コロナで、歌い手も役者もスタッフもどれもこれもみんな食えなくなっているでしょう。地方の方が、面白い時代ですよ。やりがいのある時代でもあります。才能はあるけど、埋もれている芸人にどんどんと仕事を与えたいと思っています」

 FMスタジオなども設け、30席前後の客席もつくり、日本舞踊や三味線の演奏者などに芸を披露してもらう構想も持っているという。

「茨城県は都道府県別の魅力度ランキング(ブランド総合研究所調査)で42位。そんな茨城県を活性化したいと思っています。ちょっとこれからは違う世志凡太の生き方も模索したい」

 前述の、浅香さんの最後の出演番組となった「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 『阿部定事件~昭和を生きた妖婦の素顔~』」 は、浅香さんが亡くなった後の昨年12月22日に放送された。浅香さんは定と実際に交流があった。

「浅香の最後にふさわしいドキュメンタリーになりました。浅香がいないのは寂しいけど、浅草のみなさんに愛された浅香光代なんだから、天寿をまっとうし、今でも慕われ、浅香も満足だと思います」

(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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