林:バレエの先生からは引き留められなかったですか。

浅田:それはなかったです。いつもバーにぶら下がってたので、「動物園に行きなさい」って言われてました(笑)。私、器械体操もやっていて、ほんとは器械体操をやりたかったんです。体操クラブの先生に「選手クラスに入りますか?」と言われて、私は「入りたい」と言ったのを覚えてるんですけど、母が「体操は厳しいからやめなさい」と言って。それでスケートの道に進んだんです。

林:前にお姉さんにこのコーナーに出ていただいたとき、ご自分もバリバリの現役の選手なのに、「真央ちゃんのお姉ちゃん」って言われるようになって、ちょっとグレちゃったことがあるとおっしゃってました。

浅田:私が伸びてきたことで、姉の心が弱くなってしまった部分とか、姉は姉で私にはわからないつらさがあったと思います。私自身もちょっと複雑で、姉とは仲もそんなによくなかったんですけど、20歳ぐらいのときに姉ときちんと話すことができて、それから少しずつ姉も心を開いてくれて。以来、私も姉に思ったことを全部話すようにして、そこからは何でも話すようになりました。

林:お姉さんとお話ししたときも感じたんですけど、浅田姉妹って礼儀正しくて、きちっとしていて、こんな人気者になっても傲慢になることもなく、これはご両親の教育の賜物なんだろうなと思いました。ご両親は「人気者になっても謙虚な気持ちで」ということをいつもおっしゃってたんですか。

浅田:母は、厳しくはないんですけど、スケートに関しては常にいろいろ言ってくれてました。

林:どこに行っても、いつも取材の人がいっぱいついてくるわけでしょう。「ウザいなあ、このおじさん」と思うこともあったんじゃないですか。

浅田:アハハハ。その当時は、家とリンクを毎日往復して、自分の目指すものに向かってひたすら練習していたので、取材の方に追われるのは正直嫌なこともありました。でも、メディアの人に取り上げてもらわないと多くの人に見てもらえないし、お客さんの声援がないと私たちも「頑張ろう」と思えなかったので、いま思うと、メディアの方には感謝しています。

林:不思議なんですけど、真央ちゃんしかり、なぜ名古屋からあんなにフィギュアのスケート選手が出るんですか。

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