線香一束とか、蝋燭(ろうそく)五本とかしか買わない客も、頬(ほお)を赤くして、何となく常より声を張り上げているのも、明日が正月という背景のせいなのでしょう。買い忘れがあったという客が、ばらばら店に戻ってくるのも、ようやく絶えた頃、店の前の往来には、初詣に八幡さまへ往(い)く人々の列が続いて、賑(にぎ)やかになります。

 一眠りするかしないで起こされて、朝風呂に入ると、いつの間に作ってくれたのか、見たことのない正月用の晴着(はれぎ)を着せられ、姉は黄色の、私はピンクの三尺帯を背中いっぱいにゆらゆら結んで歩く時の晴れがましさ!

 八幡さまの境内は参拝客が一杯で、三軒並んだ境内の名物の焼(やきもち)屋も、人であふれています。留守をしている住み込み弟子たちの土産にどっさり焼いてもらった焼餅は、父が一人で下げ、家族四人が身を寄せ合って帰る道の、何としみじみ楽しかったこと!

 正月が来たと、心にずしんとその言葉が収まりきるのも、この時でした。

 徳島のお雑煮は、京都風の白味噌(みそ)仕立てです。餅は丸餅で、一応母が笑顔で、私たちに「いくつ?」と聞いてくれます。甘い白味噌のお雑煮に馴(な)れた私は、大人になって、他県の家のすまし仕立ての雑煮をいただいても、お正月が来た気がしません。お正月には普段は百姓をしている人が、二人連れで人形遣いの姿になって、三番叟の人形を舞わしに、家々の戸口を訪ねます。

 もう何十年も故郷の正月をしたことがありません。両親も、たった一人の姉も一番気の合った甥(おい)もみんな先立ち、家族のいなくなった故郷の正月に、わざわざ帰る気もしません。

 ヨコオさんが、大きな絵を描きだし、傍らコロナパワーで過去のあの個性豊かな人物のすべてにベロだしマスクを着けたというのには、「さすが!!」と拍手してしまいました。それが五百点を越えたというのです。全くヨコオさんは、何という天才でしょう。仰せの如(ごと)く、そんなことをするとは、いや、出来るのは天下広しと云(い)えど、ヨコオさんしか居ないでしょう。「タカがアートだ。遊んじゃえ」なんて、ヨコオさんに惚(ほ)れ直します。

 さあ、私も負けずに百歳記念に何か新しいことを始めよう!!

 さあて!! 寂聴

週刊朝日  2021年1月15日号