そこで面白いことを発見したのは、過去の作品の人物にベロ出しマスクや、口あんぐりマスクを装着することで、絵が完成したことです。マスクのない過去の作品はなんとも物たりなく見えるのです。

 というのは実は未完のままだったのです。最早、マスクは今の時代の生活必需品のアイテムになってしまったのです。マスクのない絵なんて、気の抜けたサイダー(古いギャグですね)同然です。作品の評価は時代が決めるものだとまざまざ見せつけられた思いです。

 過去の作品に手を加えて、価値転換してしまう行為はタブーかも知れませんが、僕はタカがアートだ、遊んじゃえ、という心境です。コロナ禍がなければ絶対できなかった創造行為です。と言ってコロナが定着してしまっては困ります。ワクチンも完成されて接種され始めています。元の社会に戻る必要はないです。コロナを超えた新しい時代の到来に芸術は待機しているのです。苦を超越した後の千年王国の到来を夢見ながら、今日もコロナと共生共存です。

 ではまた。

■瀬戸内寂聴「負けじと百歳記念に新しいこと始めます!!」

 ヨコオさん

 明けましておめでとうございます。あまりすっきりしない世の中で、おめでたさも、も一つというところですが、お正月というのは子供心が帰ってきて、どこか浮き浮きしてきます。

 もの心ついた時から、お正月の前の日は、我が家は、店のかきいれどきで、三十一日の夜中の三時すぎまで、せまい神仏具店に近所の人々が次から次にやってきて、お正月用の吊(つ)り神棚や、神前用の、こまごまとした祭器のあれこれを買って帰ります。せまい店一杯に人があふれ、肩で肩を押しながら、ぺちゃくちゃしゃべり合う声が次第に大きくなり、まるでけんかをしているのかと思うくらい、高い黄色い声になっていきます。

 子供の私でも、母や姉や父の住み込み弟子たちの中にまじって、一応、店の一員らしく、「ありがとうございます」など声を張り上げるのが景気よく、「ああ、明日こそ、お正月が来る!」と胸がどきどきしたものでした。

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