箱根駅伝の最終10区、4位でゴールする青学大の中倉啓敦(C)朝日新聞社
箱根駅伝の最終10区、4位でゴールする青学大の中倉啓敦(C)朝日新聞社
監督車から指示を出す青学大の原晋監督=代表撮影(C)朝日新聞社
監督車から指示を出す青学大の原晋監督=代表撮影(C)朝日新聞社
ゴールで待ち構える青学大・神林勇太主将=代表撮影(C)朝日新聞社
ゴールで待ち構える青学大・神林勇太主将=代表撮影(C)朝日新聞社

 総合4位。連覇も3位以内も逃した。それでも「負けて強し」の印象を植え付けた。箱根駅伝で往路12位から怒濤の巻き返しを見せ、総合優勝した駒澤大に2秒差をつけて復路優勝を飾った青山学院大だ。

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 レース後に大きな反響があったのは、原晋監督がケガで欠場した神林勇太主将(4年)に言及したコメントだった。神林は前年に7区で区間賞を獲得して2年ぶり優勝の原動力に。卒業後は競技の第一線を離れ、サッポロビールに就職が内定している。この箱根駅伝が陸上人生「最後のレース」になるはずだったが、直前のケガが完治せず出場を断念。9区で給水役として飯田貴之(3年)をサポートした。

 レース後に報道陣に囲まれた原監督は、

「このチームを走りでも精神的な面でもまとめてくれた。本来ならキャプテンの神林を走らせたかった」

 と思いを吐露。

「役割分担は選手が決めるけど、神林の横浜の給水。これだけはお願いしますと頼んだ。一番テレビに映り、一番長く走れるから」

 と声を震わせた。目は真っ赤だった。

 王者が往路12位に沈んだ時は、まさかの展開にネット上で辛辣(しんらつ)なコメントが多かった。だが、復路を終えた翌日は原監督の言葉に称賛の言葉が殺到した。

「神林選手へのコメントに泣きました。故障で走れないのに、給水のポイントまで考えてくれるなんて自分が選手だったら感謝の思いしかない」

「4位だったけど今回掲げていた『絆大作戦』は大成功だったと思う。もちろん優勝すれば最高だったけど、長い人生を考えたら今回のレースも濃いドラマがあった。原監督の思いは走れなかった部員も含めて全員に届いていると思う」

 駅伝のランナーに選出されたメンバーだけでなく、部全体への繊細な気配りは自身の歩んできた道のりが大きく影響しているのだろう。駅伝で無名校だった青学大の監督に就任すると、2015~19年に箱根駅伝総合4連覇を達成。昨年も2年ぶりの王座奪還と黄金時代を築いた。だが、自身は箱根駅伝の出走経験がない。現役時代は中京大で3年時に日本学生選手権(インカレ)の5000メートルで3位に入賞。地元の中国電力で陸上部創設に参加し、1993年に主将として全日本実業団駅伝初出場を果たした。しかし、故障が原因で27歳の若さで引退。その後は中国電力で10年間のサラリーマン生活を送っている。

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