ところが、ヨコオさんは丁度(ちょうど)撮影される予定の頃、病気になって入院し、それが長引き、三島さんが予定していた撮影には間に合わなかったんですってね。笑っちゃ悪いけど、思わず笑ってしまいますね。おかげでヨコオさんはこのスキャンダルの笑い者(もの)にならなくてよかったみたいに、今思ってるようですね。もし、あの時、写真を撮られていたら、ひとり生き残ったヨコオさんは、ピエロになると、あなたは言っています。そうかしら?

 私は、今度、あなたのいうスキャンダルをつぶさに読みかえし、いよいよわかったのは、三島さんがヨコオさんにどれだけ切なく惚れ込んでいたかという事実です。それを三島さんの死後50年もたっても、みじんもわかってあげていないヨコオさんを見ていると、つくづく片想(かたおも)いの三島さんのユーレイが可哀そうでなりません。私は間もなく死ぬでしょう。あの世で三島さんに逢いたいけれど、それは全くわかりません。

 万一、あの世のどこかで、ひょっくり逢えたなら、その後のヨコオさんの元気な様子を何より丁寧に伝えましょう。

 報告、ここ一週間ばかり、朝から夜中まで『横尾忠則 創作の秘宝日記』693頁に読みふけっています。とても面白かったので、私も今日から(いや明日から)死ぬ日まで、こんな調子の日記を書いてみようかなと、そそられました。

はい、おやすみ。

■横尾忠則「素直な気持 西脇弁で書いてみるで」

 セトウチさん

 僕の『創作の秘宝日記』(文藝春秋)を愛読してもろておおきに。この日記を読んだある有名な作家も、刺激を受けて日記を書き始められたみたいで、セトウチさんにも影響与えたんですかね。「こんな調子の日記」を、死ぬまで書かれるそーやけど僕の日記は文学的実験と違(ち)ごうて、どっちかというと芸術的遊戯です。それで、この間からまた日記のスタイルを関西弁のボケとツッコミ風に変えましたんや(笑)。そんなわけでこの手紙も関西弁ちゅうか、(出身地の)西脇弁で書くことにします。

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