でもそのせいでもありますまいが、実は私は、三島さんの没後50年を、自分でも呆(あき)れるくらい、全身全霊に受けとめて、ずっとこの一か月余り、三島さんの霊につきまとわれているのです。寂庵のスタッフが呆れるくらい、私は、ろくに食事もとらず、もちろん、酒もさほど呑(の)まず、三島さんに関する活字ばかりを読みふけっております。

 一番こんな時読めばいいのは、三島さんからもらった「オモシロイ」直筆の手紙に決まっていますが、これはごっそり盗まれてしまって手元にありません。盗んだ人間は、私にはわかっていますが、事件にするにはうるさいので捨ててあります。大作家や、女流作家の手紙もすべてごっそり持っていかれました。つまり、それ等の値打を知った人間のしたことです。

 ヨコオさん

 人間くらい底の知れないワルイやつは居ないですよ。

 今度の便りで、三島さんの、死ぬ直前のスキャンダルというのを、ヨコオさんから教えてもらいましたが、私は、この事件には、さほど腹が立ちません。

 三島さんの、いい気な(甘い)考えの軽さがわかって、おかしかったです。なぜそんなバカげたことを、三島さんほどの大天才が考えついたかと言えば、三島さんは、ヨコオさんに一目逢(あ)った時から惚(ほ)れちゃったんですよ。

 森田さんは写真でしか見ないので、よくわからないけれど、それほど美青年ではないみたいですね。ほかの楯の会の仲間の方がずっとハンサムや、利口そうなのが居ますよね。でも、色気の入った「好き」というのは、微妙なもので一口では言えません。きっと森田さんには吾々(われわれ)にはわからない性的魅力が三島さんにとっては、あったのでしょう。三島さんはヨコオさんを一目見た時から心をうばわれ、惚れちゃったんだと思います。でも、あまたの天才を現在のあまたのまわりの誰よりも早々と認めていたので、ヨコオさんをも大切にせずにいられなかったんだと思います。

 次の便につづき書きますからね。

週刊朝日  2020年12月25日号