「そのときは、『売れるものって何ですか? 知っているなら教えてくださいよ』と言いたかったけど、我慢しました(笑)。当時20代の私は、売れるということに、全く興味がなかったし。ただ夢中で、楽しいし、そんな気持ちのまま、『レコーディングまでできるようになってラッキー』って思っていて。だからと言って、これが自分の一生の仕事になるとまで考えていなかった。それほど若かったんです」

「シンガー・ソングライター」という肩書自体、海外から輸入されて間もない頃のことだった。

 以来、アルバムに関しては、“誰と一緒に作りたいか”“今自分にできることは何か”を考え、人との縁を大切にしながら、湧き上がる創作意欲を頼りに作り続けてきた。その一方で、ライブでステージに立つのは毎回怖かったという。

「元々が、引っ込み思案なんです(苦笑)。でも、それじゃいけないと思い、なんとか自分で自分の背中を押してきた感じです。自分の可能性って、自分にはわからない。目の前にきた仕事を精一杯頑張ることしか。それに、『この人には無理だ』って思う人には、主催者側もオファーしませんよね。そのようなチャンスを与えてくださった方々が私を育ててくれたんだと思います」

(菊地陽子 構成/長沢明)

大貫妙子(おおぬき・たえこ)/1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。ポップス史に名を刻むアルバム「SONGS」をリリース。76年に解散後、ソロ活動を開始。2015年にバンドネオン奏者・小松亮太とのアルバム「Tint」で日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。著書に、アフリカ、南極などへの取材体験をスケッチした『ライオンは寝ている』、葉山でのとの暮らしなどを綴った『私の暮らしかた』など。

>>【後編/大貫妙子「年齢を重ねることはメリット」精神面、仕事面での変化】へ続く

週刊朝日  2020年12月25日号より抜粋