※写真はイメージ
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 文芸評論家の清水良典さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『魯肉飯のさえずり』(温又柔著、中央公論新社 1650円・税抜き)。

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 若いころ親しくなった中国人留学生から、日本の中華料理屋で出すものは本当の中国料理とは違う、と聞いて驚いたことがある。味付けが醤油中心で、やたら餡かけにしているだけだという。八角や香菜などが日本ではまだ手に入りにくい時代だった。だからのちに中国に旅行して本場の料理を食べたときには、おいしいと思うより未知の味に微妙な違和感を覚えた。味覚はどんな思想よりも保守的だ。

 本書のタイトルになっている魯肉飯は「ルーローハン」として今ではコンビニでも売られているが、もともとは台湾の庶民的なソウルフードである。ところがタイトルには「ロバプン」とルビが付いている。ルーローハンは中国語で、ロバプンは台湾語なのである。日本の統治後、中華民国が大陸から渡ってきて支配して以来、台湾では中国語が公用語になっている。しかし本省人と呼ばれる多くの台湾人は、今も台湾語を用いているのだ。日本との歴史的な因縁に加えて、台湾国内の複雑なもつれ──。この一つの食べ物に、本書のモチーフが象徴されている。

 結婚1周年をまもなく迎える若妻の桃嘉が、母がファンベーと呼んでいた好物のトウモロコシを茹でる場面から始まる本書は、そのもつれを少しずつ露わにしていく。

 桃嘉は日本人の父と台湾人の母をもつ。父は仕事で赴任した台湾で母と出会い、日本に連れ帰って結婚した。それ以来ずっと日本で暮らしているのに、母はいまだに日本語が不自由だ。年頃になると桃嘉は母を疎(うと)むようになった。日本語が伝わりにくいので口数も少なくなった。

 そんな桃嘉が結婚したのは、大学のサークルで知り合ったモテ男、2歳上の柏木聖司である。就活で不採用となる結果が続き、気落ちしていたところに、聖司からプロポーズされたのである。台湾人の母がいることを受け入れてくれた夫だが、桃嘉がスーパーで手に入るようになった八角を用いて、母の味の魯肉飯を作った際には、「こういうの日本人の口には合わないよ」と苦笑しながら箸を置いた。「ふつうの料理のほうが俺は好きなんだよね」という言葉に、桃嘉は打ちのめされる。夫の両親は孫や将来の同居を期待する。こうして日本人の「ふつう」の壁が、桃嘉の前に立ちはだかるのだ。桃嘉は頭痛薬が手放せなくなり、どんどん痩せていく。

 ここまで紹介したのは第一章だが、第二章は母の雪穂の立場から、愛娘とのディスコミュニケーションに苦しんできた過去が語られる。努力しても日本人になれない自分を嘆き、何も打ち明けてくれず痩せっぽちになるばかりの娘を案ずる母のひたむきさに胸を打たれる。

 がらりと変わって光明が射し始めるのが、第三章で桃嘉が友人の誘いで台湾を訪れ、母の実家を訪ねてからだ。母の出身は台北郊外の海辺の町、夕陽が美しいことで有名な淡水区だ。母と同じ味の祖母の魯肉飯を頬張り、一族の台湾語のさえずりに囲まれているうちに、桃嘉は自分が母を通して受け入れられている安らぎに包まれていく。そしてこれまで自分を竦(すく)ませてきた抑圧をはねのける勇気を得るのである。

 一人の女性が母との葛藤、結婚生活の桎梏を克服して自分の生き方を見出す。その普遍的な物語を背骨にしつつ、本書は国家と言語がいかに人を呪縛し分断するかを深く問いかける。同時に「母語」からも「国語」からも距離を置く立場で生きる道を指し示す。アメリカ型のグローバリズムに染まりながら、ナショナリズムを強める日本で、この小説は東アジアの横断的な交流と相互理解の可能性を祈りのようにひっそりと伝えるのだ。それが新しい日本文学の可能性でもあることは疑いない。

週刊朝日  2020年12月18日号