しかし結婚後は、瑤子夫人がを嫌うので、幼少時から飼っていた猫を母に預けていたという。雑誌「國文學」の「猫の文学博物誌」(1982年9月)に掲載された越次倶子「三島由紀夫“猫”一匹」によると、母が預かっていたその猫が夜半、家人が寝静まった後、三島の書斎の窓をたたく。三島は机の引き出しに用意していた煮干しを与えるのが楽しみだったとある。しかし、この「夜の逢瀬」は夫人に見つかってしまい、以降は三島がこっそり訪ねていくことで愛猫と密会していたという。

 内田百閒は、溺愛した野良猫出身の虎猫「ノラ」が1957年春に失踪してしまった。この顛末は「ノラや」に描かれている。失踪直後には<ノラが帰らぬ事で頭の中が一ぱいで、やり掛けた仕事の事も考へられない><気を変へようと思つても涙が流れて止まらない。(中略)あまり泣いたので洟を拭いた鼻の先が白くなつて皮が剥けた>。

 夜も眠れず泣き続け、ついに朝日新聞に猫捜しの広告を出し、さらに新聞配達店の折り込み広告も作成。警察に捜索願まで出してしまった。旅先でもノラを思い出してまた涙する。後釜に飼った「クルツ」と名付けた猫が亡くなってから、百○先生は一匹も猫を飼うことはなかった。

 夏目漱石が英文学者から作家になる転機をもたらしたのが『吾輩は猫である』。主人公のモデルとした猫が亡くなると、自宅に墓を掘り「此の下に稲妻起る宵あらん」という句を捧げ、知人に「猫の死亡通知」を送る場面が描かれている。

 しかし、夏目家次男で随筆家の夏目伸六は随想『猫の墓』で、漱石夫婦はそろって猫好きではなかったと書いた。作家の野村胡堂も『胡堂百話』で、漱石が「世間は猫好きと思っているが、犬のほうがずっと好きです」と言ったと記した。

 文豪の、そんな胸の内を察知したからといって、猫は思い煩わない。だから、融通無碍な創作意欲がくすぐられたのだろうか。(本誌・鈴木裕也)

週刊朝日  2020年12月18日号