実は、父との死別という経験から受け取った“死生観”を題材にした曲を描きたいという想いは、デビュー当初からずっと持っていたんです。ただ、当時はそれを表現するための技術や、経験が追いついておらず作品として描き切れなかった、というのが正直なところですね。自分でソングライティング(曲作り)するということにこだわり続けてきた原点も、デビュー当時から抱いている表現したいテーマを描き切る、そこに通じていくのだと思います。

 僕が17歳のとき、癌(がん)との1年間の闘病の末、父は他界しました。そのとき感じた父の生き様や後悔、家族の苦しみや悲しみ、自分自身の無力さから一時的にでも解放され、救済される手段の一つが音楽でした。このころに感じた“死生観”を楽曲に落とし込む中で、自分が何に苦しんで、どう救済されたいのか、自分で自分に告白し、問いかける。セルフカウンセリングとでも言いましょうか。

 それがソングライティングのきっかけの一つではあるのですが、描き切れないままになっていた。父が亡くなった年齢に自分も近づいてきて、それがある種の「締め切り」のように感じるようになり、これはいよいよ作品として表現しなければいけないな、となった部分もありました。

──このアルバムは、30年の節目でもあり、新たな一歩でもあるわけですね。

 そうですね。ただ、これですべてが昇華され、すべてを表現し切れたとも思っていなくて。17歳で体験した父の死、「人は必ず死ぬ」という圧倒的現実は当時から常に心に影を落としていました。おそらくこの先も、根源にあるテーマである生と死を描き続けていくと思います。「AKIRA」はその始まりのアルバムでもあるのだと。

──18歳で長崎を出て、東京に行かれたのも、お父様が亡くなられたことが影響していますか?

 それが一番大きかったのではないでしょうか。僕と兄貴、「2人とも卒業して就職するまでは生きていたい」ということが父の願いの一つでしたので、それをかなえてあげたい、母を安心させたいという思いで、僕は地元で一度就職しました。

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