林:話が変わりますけど、先生、踊りは西川流ですか。

石井:若柳です。ずいぶんやってました。林さんは藤間ですか。

林:私は藤間です。30年近く前、石井先生に初めてお目にかかったとき、私が「今度『藤娘』を踊るんです」と言ったら……。

石井:拝見しにうかがいました。

林:失礼しました、先生にあんなものをお見せして(笑)。あのあと一生懸命お稽古して、いちおう名取になりましたけど、市川海老蔵さんも高校生のときにあれを見て、去年この対談にゲストで来ていただいたら、「一体どういうつもりでああいうことをやったの?」って(笑)。

石井:うちの母は花柳界で育ってますから、踊りのほかに小唄とか鼓をやってまして、私は踊りとかお茶とか太鼓をやってました。

林:今も踊ってらっしゃるんですか?

石井:京マチ子さんが亡くなる何年か前に、京さんと二人で「水仙丹前」というのをやったのが最後でした。

林:京マチ子さんで思い出しましたけど、京マチ子さんが亡くなったときの報道で、昭和を代表する女優さんたちが集まる「やすらぎの郷」(倉本聰脚本のテレビドラマ)のようなマンションが実在すると知って、びっくりしました。

石井:ふふふ。若尾文子さん、奈良岡朋子さん、亡くなった京マチ子さん、それと私が住んでるんです。都心でとにかく便利なんです。大きな病院も近くにあるし。

林:皆さん仲良くごはん食べたりなさるんですか。

石井:元旦だけ、うちに皆が集まっておせちを食べます。奈良岡さんはご自分で料理するのがイヤなので、出前みたいに「何かちょうだい」ってうちに電話がかかってくるんです(笑)。

林:普段は皆さん独立して暮らしてらっしゃって、何かあったら助け合おうという感じなんですか。

石井:はい。階はみんな違うので、つかず離れずで。

林:いいですねえ。都心の一等地のマンションに、仲のいい人たちと、もちろん部屋は別々で、一緒に住むというのが私の夢なんですよ。イヤな夫はどこかに行ってもらって……(笑)。

石井:私たち、年中は会わないんです。うるさいから(笑)。普段はお互い自由にして、何かあると集まる。つかず離れずの距離感で。

林:楽しそう。先生、来年も再来年もお元気で、ずっとお仕事をなさってくださいね。

(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)

 石井ふく子(いしい・ふくこ)/1926年、東京生まれ。父は新派の俳優、伊志井寛。母は元芸者で小唄の家元となった三升延。50年、日本電建に入社し、宣伝部に配属。61年、TBSにプロデューサーとして入社。「東芝日曜劇場」を皮切りに、「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」など数々のドラマをヒットさせた。68年から舞台演出も手掛けるように。著書多数。演出を手掛ける朗読劇「女の決闘」(新橋演舞場)が12月13日に上演予定。

週刊朝日  2020年12月11日号より抜粋