この対局を見守った杉本八段は、愛弟子についての印象をこう話した。

「投了の十数手前くらいには勝ち目のない局面になったのですが、藤井は投了しなかった。その理由は、諦められなかったからだと思います。気持ちを整理し、心を静める儀式として指し続けたのでしょう。諦めて負けを認めてしまえば楽になるのですが、それをせずに指し続ける精神力は立派だと思いました」

 対局後は一緒に名古屋まで新幹線で帰宅したという。

「よほど悔しかったのでしょう。投了前からあらぶっている感じが見られました。対局後は普段静かなのですが、この日は『今日の将棋はどうでしたか?』と聞いてきて、『おかしかったのは、この手だったでしょうか?』と質問してきたんです。かなり悔しい思いをしているのだろうなと感じました」(杉本八段)

 多くの棋士が、将棋で負ける悔しさは格別だという。将棋は100対0、勝ちか負けかしかないからだ。「負けました」と投了するときには、その100対0を受け入れなければならない。

 並外れた“悔しがり”の少年が、胸に宿す悔しさをバネに強くなる努力をした。藤井の歩みを振り返ると、むしろ悔しさを味わわせてくれるような強い相手を求め、成長してきたようだ。

 藤井の将棋デビューは5歳の夏。祖母に駒の動かし方を教わり、最初は祖母が相手をしていた。でも、すぐに物足りなくなり、祖母の知る高齢者施設で将棋を指すようになる。藤井は、さらに強い相手を求めて地元の将棋教室に通うようになり、たった1年で20級から4級へと棋力を上げていく。教室の指導者は「短期間でこれだけ強くなった子はいなかった」と驚くほどだったという。

 小学生になると、名古屋にある奨励会入りを目指す子供向けの研修会に月2回参加。さらに小4でついに、日本中から将棋の天才少年が集まりプロを目指す奨励会試験に合格してしまった。この時点で、アマチュアの段位に換算すると四段程度の実力があったことになる。

 奨励会では月2回の対局日があり、ここで一定以上の成績を得たものが昇級昇段していく。この対局日に好成績を残すため、日夜将棋の勉強をすることになる。昔は師匠や先輩同輩と対局して腕を磨いたが、最近はAIを取り入れたネット将棋などを“練習台”とする棋士が目立つという。

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