新田恵利さん/事務所提供
新田恵利さん/事務所提供
講演する新田恵利さん/事務所提供
講演する新田恵利さん/事務所提供

 タレントの新田恵利さんといえば、1980年代に絶大な人気を誇った「おニャン子クラブ」の元メンバーで、『冬のオペラグラス』でソロ・デビューした国民的アイドル。52歳となった現在は、2世帯住宅で兄とともに、間もなく92歳になる母の介護をしている。「突然始まった」という介護は7年目に突入。どんな日々なのかを聞いた。

【写真】講演する新田恵利さん

 きっかけは、新田さんが45歳の時。圧迫骨折で20日間入院した母は、退院間近になると立つこともおぼつかないどころか認知症が進行し、35年前に亡くなった夫のことを「何してる?」と尋ねた。

 新田さんの父は、彼女が17歳で芸能界デビューする直前に他界している。思春期だったこともあり、十分な会話もできなかったのが心残りだった。

「急に死なれちゃったので」

 その後は、全力で母を見てきた。

「これまでずっと、その時その時できる親孝行をしようと思って生きてきました」

 介護が始まった頃は仕事のストレスも重なり、新田さん自身も体を壊してしまう。脳の血管がこぶのように膨らむ脳動脈瘤(りゅう)を患った。

「ボンって、こぶが大きくなって、手術になってしまったんです。やはり介護ってストレスがないわけではない。それをどううまく発散していくか、ですね」

 その後は年1回の検査を欠かさず、「今は健康です」。

 無理せず、頑張りすぎず、介護仲間との会話などで息抜きをし、不安やストレスを減らしながら、日々前向きに介護に取り組んでいるという。

 母の認知症は進んでいるが、会話のキャッチボールはあり、楽しんでいる。

「母は笑いながら『死ぬの忘れちゃったー』って(笑)。ある日、夕飯を持って行ったら、テレビを見ているのに音が出ていなかったんです。たぶんチャンネルを換えようとして音量のところを押し続けちゃったのかしら(笑)」

 最近、心の変化があった。

「これまではずっと、母のために介護をしていると思っていました。でも、去年あたりから『この介護は自分のためにやっているんだなぁ』と思うようになったんです。ふと、そんなふうに思うようになったんです。母が旅立った時、後悔しないように、そう思ってやっているんだと。介護は、自分のためでもあるんです」

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アイドル時代より満足感