※写真はイメージです (GettyImages)
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 文芸評論家の陣野俊史さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(方方著 飯塚容・渡辺新一訳、河出書房新社 1600円・税抜き)。

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 今年1月から4月の76日間、武漢は新型コロナウィルスの拡散を防止するため、封鎖された。むろんまだ多くの人々が記憶に新しいだろう。その武漢で毎晩、ブログを更新し続けた作家がいる。本書の著者、方方(ファンファン)だ。封鎖された日常の機微を細かく伝えていることや、歯に衣着せぬ物言いが話題を呼んで、彼女のブログの更新を心待ちにする人が中国に溢れたという。ほぼ深夜12時に更新されるブログの読者は「億単位」とも言われた。どんなに人口の多い国であれ、この現象は特筆に値するだろう。

 じっさい、それはどんな文章なのか。抑えきれない興味を覚えて本書を開くと、まずあっけないくらい日常のことが記してある。

 たとえば、封鎖が長引けば最初に問題となるのが、食事。彼女の兄は団地に住んでいるが、団地には機転の利く人が現れて、SNSアプリ「微信(ウィーチャット)」による自主的な野菜購入グループができた。グループに入ると団体購入ができ、袋入りの野菜が定期的に届けられる仕組みができる、とか。生活感に溢れたレポートが目を引く。

 それから、武漢に対する愛情。彼女自身が武漢に長く生活しているせいか、街への愛情が随所に顔をのぞかせる。超人的な活躍をみせていた医師が感染して亡くなったとき、あるいは同級生が感染して死亡したとき、著者は驚き、憤り、悲しむ。その感情がまったく何にも忖度することなく書いてある。いまはいない詩人の詩句をアレンジして作った、「武漢よ、今夜私は愚か者に関心はない、ただあなただけを想っている」という言葉は印象的だ。

 著者のブログが話題になると、急速に彼女への誹謗中傷が増加する。ブログは凍結されたり削除されたりするのだが、書き込み可能になるや、方方は日記を再開する。最初にウィルス情報を隠蔽した者は誰か、そのせいでパンデミックが起こってしまったのならば、誰が責任を取るのか、ウィルス禍が終息した暁には、そうした事後の検証が何よりも大切だ……、著者は繰り返す。

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