「おなかにいるときは自分の分身なのに、おなかから出た瞬間に分身ではなくなる。子供から教えられること、学ぶことがすごくありました。子育ての時期が、養母の介護の時期と重なったことも、私にとっては救いでした。高齢だった養母の未来に待っているものは“死”しかなくて、それが私はすごくつらかったけれど、介護の合間に子供と向き合うと、おむつを替える行為一つとっても、『いずれおむつが取れる日が来るんだ』と思えたし、子供の未来が感じられることや成長過程を見られることが気持ちを明るくしてくれた。そのときの経験が、『殯(もがり)の森』に繋がったと思います」

 年を重ねると、新しいことを受け入れにくくなるけれど、子供という存在があれば、常にその成長に寄り添うことが不可欠になる。仕事と子育てのバランスを取れるようになるまでに時間はかかったが、両方のバランスが取れ、日常がうまく回りだすと、自分の器が大きくなっているような感覚もあった。

 生まれ育った奈良を離れないことも、自分自身のバランスを取るための大切な条件だ。

「東京にいたら、もっと前につぶれていたと思います。以前、元ハンセン病患者の老女の生き様を描いた『あん』という映画を創ったときに、主演の樹木希林さんから、『河瀬さんが東京に来たらすぐにつぶれちゃうよ、そのまま奈良にいたほうがいい』って言われたんです。都会は便利だけど、ものづくりをするアーティストにとっては、むしろ都会の情報よりも自らを深く掘り下げる場所に根づくほうがいい。私にとっては、出会いを増やすことよりも、自分を保つことや、地に足のついた生活のほうが大事なんです」

(菊地陽子 構成/長沢明)

週刊朝日  2020年10月30日号より抜粋