追悼・筒美京平さん 延江浩「ラジオ番組に呼ぶのが難しかった」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼・筒美京平さん 延江浩「ラジオ番組に呼ぶのが難しかった」

連載「RADIO PA PA」

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延江浩週刊朝日#延江浩
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー

延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー

ありし日の筒美京平さん

ありし日の筒美京平さん

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は、作曲家の筒美京平さん。

【写真】ありし日の筒美京平さんはこちら

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「高校の帰り、地元商店街の小さなレコード店から『ブルー・ライト・ヨコハマ』がよく流れていてね。夕暮れの潮風と一緒に覚えている」

 いつだったか、小林麻美さんがこんな話をしてくれた。彼女は大森から田町の普連土学園に通っていた。地元とは大森商店街。いしだあゆみさんが歌うこの『ブルー・ライト・ヨコハマ』のリリースは1968年の暮れ。100万枚を超えるミリオンセラーになった。先日亡くなった筒美京平さんの作曲だ。

 写真家・篠山紀信さんの奥さんになった南沙織さんのデビュー曲『17才』を手がけたのも筒美さんだった。デビュー当時、南沙織さんは僕の家の近所に住んでいて、休日になるとファンが彼女にサインをねだろうとシングルレコードを持って近所をうろうろしていた。

 洋楽育ちの僕はいわゆる歌謡曲を深く知ることはなかった。しかし、就職したラジオ局が「日本歌謡大賞」幹事局だったこともあり、その年の音楽賞や新人賞ノミネート歌手の投票のため番組ディレクターとして多くの楽曲を試聴するようになった。本選は多くが日本武道館で行われ、テレビ各局が持ち回り全国ネットで生中継、各局の編成局長やプロデューサーらがしかめっ面で審査をしているシーンも放送された。楽屋裏にレコード会社やプロダクションのスタッフが大勢詰めていて、11月恒例ということもあり、今思えばそれも日本の昭和の一風景だった。

 1993年まで続いた日本歌謡大賞の常連が筒美京平さんだった。尾崎紀世彦『また逢う日まで』、堺正章『さらば恋人』をはじめ、彼の作品を歌ったシンガーは、郷ひろみ、麻丘めぐみ、岩崎宏美、野口五郎、小泉今日子などなど。調べると筒美さん一人で一度に幾つもの賞を受賞している。レコードにクレジットされた「筒美京平」という名前に、この作曲家はいったいどんな人なのだろうと思っていた。手がけた作品約3000曲、シングル総売り上げ7560万枚は日本の作曲家1位。「サザエさん」や「怪物くん」の主題歌も。


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