わたしの対局までに少し時間があったので、本間さんとよめはんが将棋を指しはじめた。本間さんの飛車・角・香落ちだが、プロ棋士によめはんが勝てるわけがないと、わたしはそばで見ていた。そのうち、羽生さんがよめはんの後ろに立って、よめはんが駒に指を伸ばすと「ああっ」とか「うん」とかいう。「ああっ」は拙(まず)い指し手、「うん」はいい指し手だ。

 よめはんは羽生さんの反応を見つつ、大駒の角を切った。控室の棋士が「おおっ」といった。わたしも驚いた。読みの入った、いい手だった。

 本間博五段vs黒川ハニャコの一戦はよめはんが勝った。羽生さんはよめはんに拍手をして、「あの角切りはすばらしい感覚でしたね」と講評を述べた。これでは棋士・羽生善治を好きにならないわけがない。わたしもいっぺんにファンになった。

 やがて、高橋和女流初段vs黒川博行アマの対局の時間がきた。両者、一段高い畳敷きのステージに座る。先手はわたしだ。大盤解説と記録係がついて、「先手・7六歩」「後手・3四歩」と指し手を読みあげてくれるのは、ずいぶん気分がいい。

 将棋は本間さんが予想したとおり、相振飛車になった。上手(うわて)・下手(したて)とも金無双に囲って、いざ開戦。どうした番狂わせか、わたしが勝った。

 その翌年、『将棋世界』の誌上対局で高橋さんと再戦し、完膚なきまでに負かされた──。

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

週刊朝日  2020年10月30日号

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黒川博行

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黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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