この20年間に雇用者の数は増えたが賃金率は下がり続け、したがって雇用者ぜんたいの収入は低下した。つい先日まで続いた安倍内閣はこのことで記憶されるだろう。税制の改正によってもたらされる不正義は、社会ぜんたいの脆弱性を招く、と著者は言う。

「日本政府の課税努力の低さは、怠慢という以上に、意図的な課税不正義といわざるをえない」という文章を僕は引用する。課税努力とはなにか、その低さとは、どういうことなのか。正確で詳しい情報の決定的な不足を、どうすればいいのか。

 1992年の生活大国五か年計画を評して、著者は本書の最終章である第四章の「結論」で、次のように書く。「家族だのみ・大企業本位・男性本位の日本的社会政策の総体、そこに組みこまれ再編・強化された家父長制的ジェンダー関係を問いなおす視角は、乏しい」

 いまから28年前のことだが、一字一句訂正することなく、現在の日本にそのまま当てはまる様子には驚く。著者の言う「日本的社会」は、それほどに強固だ。企業中心社会の確立を支え促進してきた力のすべてが、この強固さのなかにある。

 確立や促進の過程で犠牲にされてきたものが、ひとつひとつ解き明かされるそのたびごとに、この強固さは弱っていくのではないか。弱っていくその度合いに合わせて、「日本的社会」の強化が、さまざまに図られることになるのではないか。

週刊朝日  2020年10月2日号