今度は、はじめから油絵と決め込んで、ヨコオさんに相談したら、「先生につくな」ということでした。何もかも手さぐりではじめて、よろよろでした。

 昔、昔、ヨコオさんと知りあった最初の頃、うちに見えたヨコオさんに、私のスケッチブックを見せたら、突然、ヨコオさんが大声をあげて笑いだし、しばらくその笑いがとまりませんでしたね。

 涙までためた目をふきながら、

「どうしたら、こんな絵が描けるのだろう」

 と、怪物でも見るように、私の顔をつくづく見つめました。

 あれ以来、私はヨコオさんには生涯、自分の絵なんか見せまいと、心に誓ったのに、年と共に忘れっぽくなって、死の近づいた九十八歳にもなって、ヨコオさんに改めて押しかけ弟子入りをしてしまったのです。

 抜け目のない秘書のまなほまで、いつの間にか、私のコブのようにくっついて、私の絵に必ず、自分の絵をくっつけてヨコオさんに画像を送っています。

 これが思いの外に愉(たの)しくて、原稿用紙に字を埋めるより、気が晴々(せいせい)するのです。

 ヨコオさんは、内心どう思っているのか、今のところ、適当におだててくれて、私のせっかく芽生えた絵心を伸ばしてくれようと、気をつかってくれているようですね。

 今は、それがただただ嬉(うれ)しくて、毎晩眠る寸前は、明日描く絵のことをあれこれ想(おも)って、心豊かになって眠ります。

 本当に、人間っておかしなものですね。

 コロナで、いつ、殺されるかわからないという危機なのに、一世紀も生きのびた婆(ばあ)さんになってからも、新しい趣味に挑戦するなんて、不可思議な化物(ばけもの)ですね。

 ホントは、死ぬまでに絵がたまったら、死後、遺作展を開いてみようかな? なんて、大それたことを秘(ひそ)かに夢見ているのですよ。

 まあ、呆(あき)れたババアだ! イッヒッヒ!

 でも、死ぬ前に、あれをやってあんな失敗したという後悔よりも、あれをやらなかったのがつくづく惜しいという後悔が、残る方が、口惜しいと思うのです。

 だから、今からでも、何でもやり残さずに、まめにあれこれやってしまいましょう。

 では またね

週刊朝日  2020年9月18日号