こうした差別への抗議の背景には大坂選手自身が受けてきた差別があるのかもしれない。

 大坂選手はハイチ人の父と日本人の母を持ち、3歳でニューヨークに移住。14歳でプロテニス選手になった。前出の内田さんによると、大坂は16歳の時にツアーで予選を勝ち上がり、全米女王をも撃破する大活躍をして注目された。まだランキング400位前後の頃である。

「この時に、『スポーツイラストレイテッド』誌のインタビューを受け、大坂選手は“自分はスマホを持っていない”と答えています。その理由として、“自分のことが『ブラジアン』と書かれているのを(ネットで)見るのが嫌だから”と答えています。ブラジアンとは、ブラック(黒人)でアジアン(アジア人)な人を刺す造語です」(内田さん)

 そして、今回の全米の前哨戦で、黒人銃撃事件を受け、8月27日の準々決勝の試合後に、冒頭の文章をツイート。抗議活動に社会の注目が集まることを願い、いったんは準決勝を棄権することも決めたのだ。

 全米の初戦勝利後のインタビューで大坂は、(抗議の)マスクは7枚用意してあると語った。決勝まで勝ち続ければすべてが見られる計算だ。
(鈴木裕也)

※週刊朝日オンライン限定記事