五木:病気そのものよりは、陽性反応を起こした存在になることへの恐怖かな。あの銀行に陽性者が出ている、というと、そこの銀行は石が投げられたりする。会社の命運にかけても感染できないと考える人がいるんだよね。PCR検査を受けないと陽性か陰性かはっきりしない。そのへんの不安感が問題です。結果、人間と人間の関係の中でディスタンスというのが強く要求されるわけですから。

 東日本大震災が発生したあと「絆」という言葉がすごく使われました。人間の絆を回復しようと、ついこないだまで言われていた。それが今度は「絆を切れ」と言われているわけだから。ダイレクトな人間と人間の接触を切っていくという方向にポストコロナは進む、と気の早い人は言っていますけど。

姜:たしかに東日本大震災の時は、絆という言葉が合唱されるように使われ、ボランティアも含めて、問題はあっても、いろんなことを乗り切ってきた面はありましたね。

 今回は、絆を断ち切って自分で自分のことはケアしましょうと。だから正直言って、他人がどうなろうと構わない、という非常にパサパサとしたところがある。そこで、また疲れてしまうということがあるんじゃないでしょうかね。

 こないだ僕の親戚で亡くなった人も、結局葬式もあげられませんでした。身内も結局、火葬場に行けない。東日本大震災の時はいい意味でも悪い意味でもセンチメンタリズムというか、何かこう物語性の余地はまだあったんですが、コロナというのは本当にね……。

五木:人間の絆を切断する方向へ進んでいる。

姜:そこをしっかり見据えたうえで、どこまで「吹っ切って」コロナと向き合っていけるか。耐え方を楽しみながら耐える、ということにまで変えられるかどうかですね。耐える、と言うとなんか謹厳実直でちょっとストイックなイメージになりがちですけど。耐えることは楽しいという、ある意味ではマゾヒスティックなところまで行かないと、この事態を受け入れられないかなと思います。耐えることすなわち喜び楽しみ、そういう風なイメージですかね。

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