いっときコンセプショナルアートで造形という概念から外れた作品が多く作られたが、作者の観念だけが上滑りして、解説がなければ理解できないものもあった。抽象彫刻にトリセツは要らない。

 シンプルとともに“スケールメリット”という考えも重要だろう。

 たとえば、石を彫ってドーナツを作るとする。それが実物大なら、ただのオブジェだが、直径が五メートルだとどうか。抽象彫刻になる。一部を反らせるか、芝生の上にでも置いて五十センチほど斜めに浮かせれば、これはアートだ。石という硬い素材も柔らかく見せること、何トンもの重い素材を軽く見せることが彫刻家の主張になる。

 バブルのころ、自治体が多目的ホールの広場などにこの種の造形物を建設会社やイベント会社に外注して設置したが、たとえばドーナツならステンレス素材で、垂直に立てている(読者もそういった意味不明の造形物を眼にすることはありませんか)。そこにアートは欠片(かけら)もない。わたしが住んでいる自治体の公園や図書館にもガラクタがあり、図書館のそれは一千万円だと聞いた憶(おぼ)えがある。

 対するに、少数だが、しっかりした自治体は複数の彫刻家を審査員に招いてコンペをしたから、そこで選ばれた作品はまっとうな抽象彫刻だった。わたしの同級生や先輩もコンペに応募し、五百万円から一千万円の制作費をもらって作品を設置していたが、バブルがはじけてコンペも消えた。

 抽象彫刻の制作だけで食っている彫刻家は、いまの日本に二十人もいるだろうか。

週刊朝日  2020年8月28日号

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黒川博行

黒川博行

黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する

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