ジャーナリストの田原総一朗氏(c)朝日新聞社
ジャーナリストの田原総一朗氏(c)朝日新聞社
イラスト/ウノ・カマキリ
イラスト/ウノ・カマキリ

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、多くの企業が業績の悪化に苦しんでいる。ジャーナリストの田原総一朗氏は、コロナ禍の今、伝えたい経営者の言葉をいくつか紹介する。田原氏はこれまで500人以上の経営者を取材してきたという。

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 私は、この50年間に500人以上の経営者を取材してきた。もちろん、何度も取材した経営者も少なくない。その中から、とても印象に残った経営者100人を選んで『伝説の経営者100人の世界一短い成功哲学』という著書を刊行した。意表を突かれ、共感させられた、いわば私を“唸らせた言葉”を選び出したのである。

 たとえば、パナソニックの創業者である松下幸之助を取材したとき、彼は80代で、私は40代であった。私は、松下に「あなたは、社員を役員や関連会社の社長に抜擢するとき、その人物のどこを決め手にするのか」と問うた。

 松下は「頭のよさでも身体の丈夫さでもない」と言った。それでは何なのか。

「大切なのは、運です。運のない人間は、あきません。運というのは、難しいことにぶつかったとき、悲観したりあきらめたりすることなく、面白がって前向きに取り組める人間、そういう人間には、向いてくるのです」
 
 松下は、そう言い切った。

 ソニーを井深大と組んで設立した盛田昭夫は「ソニーは、世の中にない商品を開発するのだ」とあまり力まない口調で言った。ウォークマンが大きな話題になっていた時代であった。

 創業以来、ソニーは模倣ではなく、独自の新分野を開発してきた。しかし、それは必ずしも新しい発明によるものではない。たとえば、ウォークマンは、既存の技術を組み合わせて開発された、全く新しい商品であった。盛田は、人間のテクノロジーをもってすれば解決できない問題はない、とも語り、「私が楽天的なのは、落ち込んだり悲観的になったりする暇がないから」と笑って言った。コロナ禍ではこうした楽天的な思考が必要である。

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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