軍需工場ルポも「サザエさん」風?戦後75年、昭和の名作漫画誕生の裏に戦争のリアル 

2020/08/16 11:30

「意識せずに書いている部分があるように思います。ある種、町子の地が出てしまっている。必ず、オチをつけたり、ズッコケたり。ギャグにしないと気が済まない性分なのでしょう」(有馬さん)

 この記事を書いた約1年9カ月後、「サザエさん」がスタートした。

「戦中、戦後の福岡において、サザエさんのベースができたと言っていいでしょう」(同)

 そのほかにも、サザエさんと福岡には浅からぬ縁がある。実は、長谷川家の最初の計画では、長野県の旧佐久郡に疎開する予定だった。荷づくりまで終えたところに福岡の知人がやって来て「水くさいじゃないか。福岡に帰っていらっしゃい」と長谷川家を説得。行き先を急きょ変更したのだという。このエピソードは昭和19(1944)年3月のこととして、町子の自伝漫画『サザエさん うちあけ話』にも掲載されている。

 福岡は、町子が女学校の途中まで暮らしていた街。町子は市内の海岸を散策しながら漫画の構想を練ったため、登場人物の名前が「サザエ」「カツオ」「ワカメ」といった海にちなんだ名前になったという逸話がある。もし、疎開先が長野だったら、「サザエさん」は誕生しなかったかもしれない。

 引き上げ、闇市、戦災孤児…サザエさんに登場する「戦争」

 ちなみに、4コマ漫画サザエさんは朝日新聞で始まったと勘違いしている人も多いが、戦後に福岡で創刊した夕刊紙「夕刊フクニチ」(すでに廃刊)が「元祖」だ。初期のサザエさんにはなかなか日が当たらなかったとは思うなかれ。フクニチOBらが記した本にこんな記述がある。

「『やはりプロ級のものを』という声が出ました。それで長谷川さんに相談をしたら、描きましょうということで始まりました。ところが、その後上京した長谷川さんに朝日新聞から誘いがかかったのです。朝日は地方紙を見ていて、いいものがあったらすぐ引き抜いてしまいますからね」(『光芒! フクニチ新聞』から)

 全国紙に規模では劣るが、当時のフクニチは勢いがあり、紙面づくりも野心的で、若い漫画家の発表の場としては申し分なかったように思う。同書に沿って、当時の新聞事情を説明しよう。

 戦時中は言論統制と用紙不足から一県一紙。それが戦後、GHQの民主化政策で、朝刊とは別に日刊紙を発行する場合は新聞用紙を特別配給された。600社ほど申請して200社ほどに配給が割り当てられたそうだ。そのときに生まれたのが夕刊フクニチだ。社員は西日本新聞からの出向。朝刊紙の発行元が直接夕刊を出すことは認められず別会社化したという。

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