散々、苦労をしたとは、他人の評することで、自分自身では、苦労を苦労と感じるゆとりさえなく。いつも無我夢中で、一日を必死に泳いできました。

 気がついたら目の前に百歳の壁がそびえていた。何度か、死ぬかもしれない手術をしては、死なずに、生きつづけました。あとは只、死ぬ時を待つばかり。突然、どうせ、死ぬなら、もう一度、変わった生き方をしてみたいと、切実に思ったのです。

 それで、小説家から絵描きになってみようかと思ったのです。念ずれば、応えてくれる何かがあって、たちまち、若いハンサムの画家が降ったように現れ、私の年甲斐(としがい)もない夢を察するなり、その翌日、油絵の材料をぴたっとそろえて買ってきてくれました。その画家の名前は中島健太さん。

 ヨコオさん、只今、私の寝室は、彼の届けてくれた油絵の絵の具で隙間もなくなりました。

 彼はヨコオさんの隠し子かしらと思うほど、気が利く絵描きです。私の肖像画を描いてくれ、それを仏間に置きましたら、お詣(まい)りの人が、大方留守の私に逢(あ)えたように思って、手を合わせてくれ帰っていきます。もちろん、その絵の私は、実物よりずっと美人で、賢そうな表情。

 九十九歳から、私も画家になる。おそれ多いので、まさかヨコオさんの弟子にしてくれなどとは言いませんが、私たちが仲良し老親友だと知っている人たちは、

「ついに、寂聴さんが、ヨコオさんの弟子にしてもらえたんだね!」

「いや、あれは勝手に寂聴さんが、弟子みたいな顔をしているだけだよ」

 とか、もめている様子。はて、さて、どのような絵が生まれましょうか。若いハンサムの絵描きが買ってきてくれた絵の具を解き、白いキャンバスを並べ、いよいよ処女作に取りかかろうとして、ひとまず、大先輩に、ご挨拶(あいさつ)を申し上げました。

 では、また。

週刊朝日  2020年8月14日号‐21日合併号